2022年5月26日木曜日

NO.545〜2022年5月26日(木)〜ゲルニカにまつわる話〜

ゲルニカには、1988年夫婦で行った4回目(最後となった)のヨーロッパ旅行で訪れました。というより、過去3回のヨーロッパ旅行でゲルニカに行けなかったので、どうしても行きたいねと計画したのです。この旅行から10年後、4回の旅行の経験ををまとめた旅行記「ヨーロッパ駆け足旅行」という小冊子を作りました。その中のゲルニカの部分を以下に。

ゲルニカは小さな町ですが、バスク地方の政治的中心都市です(だから、フランコに呼応したナチス空軍の標的にされたのですね)。町の中心の丘の上に樹齢5千年といわれるカシの大木があり、バスクの村々の代表者たちがその木の下に集まって自治議会を開いていたのです。「ゲルニカの木」といわれるその木も空爆で炎上し、今は大きな焼けぼっくいになりましたが、その焼けぼっくいが、東屋ふうの屋根をつけて保存されており、その近くに小綺麗な州議会の建物があります。建物の裏手には、二代目、三代目の「ゲルニカの木」が植えられています。Mは中学生用の社会科公民科教科書に、丸木夫妻の「原爆の図」と共にピカソの「ゲルニカ」を紹介し、「ドイツ軍の爆撃機は、防空壕にいたたまれなくなって逃げ惑う人々めがけて機銃掃射をあびせました。羊市場の羊にも、家畜市場の牛や馬にも、吠え続けていた犬たちも子どもたちと同じように倒れ、吠えなくなりました。..........」という、当時の子どもの作文を引用しています。


 上の写真は、亡夫が若いころから亡くなる寸前まで半世紀近く執筆、編集に携わった中学校社会科教科書の一部分です。奥付には
<日本書籍株式会社発行 中学社会公民的分野 平成9年度用 平成8年2月29日文部省検定済>とあります。平成9年度用ということは1997年度用ですから、夫のなくなる7年前、この時すでに闘病中でしたが、最後まで校正その他に意欲を燃やし、1988年に実際に訪れたゲルニカについて、教科書に載せることができたことを大変喜んでいました。この教科書で学んだ子どもたちは現在社会の中核、どこでどんな人生を送っているかしら。ゲルニカや広島、長崎を心の奥底に深く止めて、戦争のない世の中をめざしているといいな。

教科書表紙
見開きページ

写真で考えてみよう

「世界の人権について」

というページ。

マンデラさんの

笑顔が

素敵です!