2022年7月9日土曜日

NO.590〜2022年7月9日(土))〜百合はおしまい、そして安倍元首相の死〜

🌻 まずは、昨日の記述から 🌻

 今日7月8日(金)、6月29日から楽しませてくれた百合の花、今日で終わりです。朝から音もなく花びらが落ち始めました。百合の大きな花びらは「散る』という感じじゃなくて「落ちる」という感じです。

 昨日(7月7日)は、7年ぶりに会うことになった、昔の職場の同僚の訪問があり、楽しいひと時を過ごしました。今の教育の現場とは違って、のびのびと自分たちの思う実践ができました。と言っても、「こうしたい」という強い思いがあったからで、管理職や何人かの同僚との軋轢もありましたが、みな本気で、話し合い会議を重ね、より良いことのために苦労しました。上からの命令でなく、子どもたちのためにどうするのがいいのかその実現のために、時に対立したり腹を立てたりしながら、みんなでより良い教育の場を作り上げていました。今現在、教育の場で、様々な問題が起きているようですが、大事なのは「子どもたち」にとって、どうするのが一番いいのかという、学校の主人公は子どもたちだ」ということを教師や学校で働く大人たちが共通理解をすることです。現在様々な問題を抱えている学校は、そういう理解ができていないことが問題。ま、学校のみならず、人間の存在そのものがないがしろにされている今の世の中にあって、学校だけがユートピアになれるわけもないでしょうが。

話は変わりますが、今日2022年7月8日(金)は、日本にとって大変な日になった。テレビはずっとそのニュースでもちきり。ニュースの中で、日本の国に尽くしてくれたというようなことが強調されているのを聞くとやっぱりなと思う。もちろん人の死、しかも非業の死は、悲しい。しかし、首相としての安倍晋三という人間のしたことは、非業の死をとげたことによって、免責されてはならない。「哀悼の意」を表することと、首相としての仕事についての評価とは別。アベノミクスは失敗だった。その評価が彼の死によって変えられてはならない。トランプアメリカ前大統領にすり寄った姿勢も腹立たしかったし、もりかけさくら問題、などなど未解決のままだ。石原慎太郎のときもそうだったが死んだ人は仏様、死者にムチ打つなみたいなことが日本という国には暗黙の了解としてあるようだ。

 第二次大戦の敗北時、日本と三国同盟を結んでいて、ともに敗戦国となったドイツの最高責任者、ヒトラーは自害したし、イタリアのムソリーニは民衆によって殺された。日本は、ヒトラー、ムッソリーニに並ぶ最高責任者はお咎めなく、命を全うした。そんなことも思い出した。

 以上は、昨夜書いたもの、疲れて投稿に至らなかった。けさ(7月9日土曜日)、NHK テレビをつけたらまず国際報道再放送の最後の部分だった。安倍外交の素晴らしさを語っていた中で、トランプが安倍をべた褒めしたという話をしていて、思わず失笑。今のトランプを見れば、彼に褒められるということは、とんでもないことだということくらいわからないのか!?全くジャーナリストのセンスなしだ!

 今、様々な人のツイッターを覗いていたら、松尾貴史さんがリツートしている中に民主主義を守る事は自民党に投票する事では有りません!という書き込みがあり、1428のいいねがあった。また、さまざまな人の書き込みを松尾さんがリツートしていて、たいへん参考になる。

 とにかく「凶弾に倒れたこと」によってその人の生前の言動全てが許され、なかったことにはできない。この凶事を利用して、憲法改悪や軍国主義への道に進もうとするなどもってのほか!石原慎太郎が病死した時、多くがかれを褒めた讃えた。私が真っ先に思い出したのは、東日本大震災の時に彼が言い放った「天罰」!!!という言葉。決して許すことはできない。今でもそう思う。

 安倍元首相は、プーチン来日時、彼を最大限の「おもてなし」で迎え、「君と僕は同じ未来を見ている」というようなことを言ったとか。また、彼は、選挙演説の時に聴衆の中からヤジが飛び「こんな人たちに負けるわけにはいきません」と言い返した。自分に反対する国民をこんな人たちと言い放った安倍元首相の様々な言動が彼の死によってすべて洗い流されることのないように願う。(2022年7月9日午前9時投稿)