2022年7月24日日曜日

NO.611〜2022年7月24日(日)〜しんぶん赤旗記事ふたつ〜

 🌻 昨日はブログお休みしました。というのも21日金曜日に2回もお出ましになったので、ご老体のナオコばーちゃんは、お疲れになって。だめですね〜ほんとに。

 さて、今朝はしんぶん赤旗(購読やめると思ったけれど、他の新聞にはない記事もあるので、続けることに)の記事二つ。
























左の写真の記事を載せたのは,私の住んでいる杉並区のことだから。

日本特派員協会での記者会見ということは、やっぱり女性区長ということで、呼ばれたのかな。

以下。記事から抜粋。

<パートナーシップ制度について問われた岸本氏は「杉並として実現を目指す」と表明しました。

さらに取り組みたい課題としてあげたのは「同一労働同一賃金」最低賃金の引き上げの実現。ケアワーカーの非正規雇用労働者の9割が女性であり、すでに区役所職員と待遇改善に向けて議論を進めていると言及。「対話した職員らは真摯に受け取ってくれた。公約の実現に向けて一歩ずつ進んでいきたい」と話しました。>

🌻 区民の一人として期待して見ていきます。

まだ午前中なので、夕方になったらまた、「言いたいこと、言わねばならないこと」が出てくるかも。そうしたらまた2回目を書きます。夕方と言いましたが、第1回投稿のおまけ。今日は芥川龍之介の命日「河童忌」なので、以下、付け加えておきます。🌻

国立国会図書館「近代日本人の肖像」 

小説家

芥川 龍之介あくたがわ りゅうのすけ

明治25年(1892)~昭和2年(1927)

東京・京橋出身。大正3年、一家で田端435番地に新築転入。東京帝国大学時代、久米正雄、菊池寛らと『新思潮』(第3、4次)を創刊。夏目漱石の門下となり、「鼻」を激賞された。その後「手巾」「芋粥」等を次々に発表し、一躍文壇の寵児となる。一時期、鎌倉、横須賀、鵠沼にも居住したが、同8年、田端に戻り、本格的に文筆活動を展開。たぐいまれな才気と下町人特有の世話好きな性格は多くの人々を惹き付けた。昭和2年7月、「唯ぼんやりした不安」という言葉を遺して自ら命を絶つ。忌日は「河童忌」と呼ばれる。