2022年8月30日火曜日

NO.665〜2022年8月30日(火)〜著作権問題と今日の東京新聞〜

 🌻 しつこく著作権問題ですが、自分のブログに、新聞記事の見出しを載せて、◯月◯日の✖︎✖︎新聞朝刊✖︎面にこんな記事が載っていますよ、というのも著作権侵害になるのかな。私としてはいい記事なのでむしろ宣伝になるからいいのではないかと思うが、無断で載せた(つまりこの記事の見出しをブログに載せる許可を新聞社から得ていない)ので、著作権違反になっちゃうのか。とすると、ブログで、新聞記事や本などのことを話題に出来ないということかな。私はブログでなんの利益も得ていないから、いいと思っていたけれど、写真はダメということは、今回、東京新聞記者から教えられたので、このまえ2日ほど半徹夜で1年半前からのブログのすべての新聞記事の写真を削除した。それにしても著作権法というのは大変なもので、検索したらあまりにも膨大な法律なので、とても読む気がしなかった。

 もとの文の出典を明らかにして、しかもブログによって私はなんの利益も得ないつまり営利目的ではないのなら、記事の写真や引用は良さそうなものだと思うがな。お金を払って新聞を買っているのだしね。と、相変わらず愚痴をこぼしています。

 で、今日8月30日(火)の東京新聞発言欄に、私のブログに時々登場する「かずちゃん便り」のかずちゃんの投稿が載ったので、それを転載したら「著作権違反になるかどうか」かずちゃん自身に東京新聞に問い合わせてもらいました。そうしたら

著作権は投稿者本人にある、との読者係の回答でした。
加えて大事を取るなら、東京新聞の中の「知的財産なんちゃら」の部署に、二重使用についての詳しい決まりだかなんだかを訊けばよいかも、ということでした。

該当部署に訊いたら、まったく構わない、という回答でした。

ということで、かずちゃんの投稿を載せます。

 継母と幸せだった日々 無職 宮澤和子 69(東京都杉並区)

     木内昇さん、長期間の連載をありがとうございました。悌子さんが大たんかをきって清太君を引き取り育てると決めた辺りから、私の一日は「かたばみ」を読まずには始まらなくなりました。

   私は四歳で生みの母を肺結核で亡くし、継母を母と呼んで育ちました。世間は「ままはは」と呼び、否定的に思うこともあるようですが、私は母が好きで尊敬し、母なくしては自分の人生は語れません。清太君と血のつながりがないことを思い悩む悌子さんに、「違うよ悌子さん、あなたが母さんじゃないか」と何度も叫びたくなりました。しかしそれよりも早く、登場人物たちが悌子さんに向かい叫び、つぶやき、教え諭すのでした。

  「かたばみ」のおかげで再び、母との幸せであった暮らしを振り返り浸る日々を過ごせました。

2022年8月29日月曜日

NO.664〜2022年8月29日(月)〜東京新聞今日の夕刊6面の記事💮〜

🌻 記事の写真を載せることができないのが残念です。東京新聞購読の方は、お分かりと思いますが、そうでない方は、図書館で読むか駅売りで買うかですね。

記事の見出しの書き写しは著作権侵害にならないでしょうね!?

見出しは「ロシア元兵士 手記で内情暴露」「この狂気を止めねばと良心が言っている」

「理由知らされず『ウクライナが侵攻?』」「食料なく略奪『野蛮人のように食べた』」 

「軍の雰囲気『大多数がプーチンに不満』」

今日29日の東京新聞夕刊6面のトップの記事ですが、よくこのような記事を載せてくれたなと思います。

記事の配信は<ロンドン、東京・共同>とあります。

<ロシアが実効支配するウクライナ南部クリミア半島の町で2月24日、移動するロシア軍の装甲車両=タス・共同>という説明のついた、写真が載っています記事の写真を載せることができないので、この写真も載せられません。本当に残念。東京新聞を読んでいない人にこんな大事な記事が載っているよと知らせるのが、著作権侵害になるなんて!この兵士の手記全体は、ご本人がユーチューブに発表しているそうです。


去年の8月26日
「一寸先は闇」の
「せっちゃんだより」に載せたせっちゃんが写した写真を再掲。これは著作権侵害になるかな?



2022年8月27日土曜日

NO.663〜2022年8月27日(土)〜著作権のことなど〜

🌻 著作権について、あまり深く考えずに、新聞の切り抜きをスマホ写真で、このブログに載せていましたが、それは「NG!」ということなので、このブログの最初(2021年2月17日)から点検して、写真を削除しました。たがって、もし、以前のブログをご覧になると、レイアウトが変になっているものが多いと思います。

 過去に、紙媒体で一人新聞や、学級だより、職場新聞など様々な通信を発行していましたが、新聞や雑誌の引用はしても記事の写真を載せることはありませんでした。またそれら通信は、限られた人に渡るだけで、ネットに公開するのとは違いましたから、著作権のことは気にしませんでした。

 私のブログは「公開」ですが、コメント受付はしていませんので、読んでくださる方は十人未満です。しかし公開している以上、どなたの目に触れるかわかりません。ネット空間に対する知識、配慮がたりなかったことを恥ずかしく思います。ということで、今後はブログ内容を自分で撮った写真や自分の意見や感想だけにしなくてはと思います。

 人間のAI化と言われているようですが、私のような昔人間は、やはり紙媒体のひとり新聞を書いて、親しい人に郵送するという、20年前にしていたことを復活させるのがよろしいのかもしれません。しかし、体力的にそれが可能かどうか、怪しいところです。それに、そんなものを送りつけられた人たちにとっては、ゴミが溜まるばかりかもしれません。ブログならクリックしなければいいわけですし、もし読んでも削除すればいいのですから、ゴミにはならないでしょう。なんとも悩ましいことです。 早寝早起きの私としては珍しく、午前零時を回りました。おやすみなさい。🌻

2022年8月26日金曜日

NO.662〜2022年8月26日(金)〜庭の花〜

きのう8/25(木)きょう8/26(金) と、どうも目の疲れが、かなりなので、怒りの文章はお休み。

瑠璃唐綿がどういうわけか、また咲いています。色はずいぶん褪せたけれど、植物は不思議。

金柑白い花ミズヒキもかわいい。







2022年8月24日水曜日

NO.661〜2022年8月24日(水)8月24日の東京新聞「こち特」去年と今年

😓 きのうはお休みしました 😓

🌻 1年前の世の中はどうだったかな、と思って、去年の8月24日の「一寸先は闇」を再掲。

 2021年8月24日火曜日

NO.238今日、8月24日の東京新聞「こちら特報部」どれもオススメ

 😡(このマークは、怒っていない場合も、「プロテアナオコ』ばーちゃんの印として使います)今日の東京新聞「こちら特報部」は、いつもにも増して読み応えあり。見出しだけ拾います

メイン記事 

国連報告「人間が原因で温暖化

人類は地球で生き残れるのか

ヒートドーム現象」地中海沿岸でも猛威

北米熱波50度超「ドライヤーの中のよう

「極端な気象」脅威明日

暮らし 農漁業 工業生産 全てに影響

パリ協定そろわない足踏み「まず自国目標へ政策遂行を」

デスクメモ 「この記事の編集作業をしている最中も、米国で発生した洪水のニュースがテレビで流れていた。人間の長年の活動により変わってしまった地球の環境を元に戻していくのは簡単ではないだろう。それでも、政府や産業界だけでなく、一人一人がわが事として考え続けていくしかない(千)2021・8・24

ニュースの追跡

晩年3・11や福島原発事故の連作挑む 慰安婦や朝鮮人炭鉱労働者...作品に鎮魂の思

話題の発掘辺野古・高江リポート 米軍の揚陸艇が轟音  

本音のコラム カジノ政治の終焉 鎌田慧  

 〜 以上が去年の8月24日の「こちら特報部」〜 

🌻去年の8月24日の「一寸先は闇」は、東京新聞「こちら特報部」を取り上げた。1年後の今年、「こち特」は、どんな記事を載せたか。見出しを見るだけでも、1年間で世の中ずいぶん変わりますね!一年後に安倍晋三のの国葬問題やウクライナ戦争や統一教会問題などが起きるとは、誰も予想だにしなかったんですよね。まさに「一寸先は闇」ですね。

🌻さて、今年、2022年8月24日の「こちら特報部」は、「宇宙ごみ落下」「島原原発への不正入構」など原発警備の問題点を扱っている。本音のコラムは、斎藤美奈子さん、「真夏のホラー」これは🌻の感想だが、大変面白いので、全文書き写します。


「真夏のホラー」
 その夏は暑かった。気温は35度を越し、熱射病で倒れる人が続出した。厄災はまだあった。この国では二年半前から疫病が流行し、死者は三万人を超えていた。
 そんな中で事件は起きた。絶大な権力を誇った元首相が殺害されたのである。背景を探るうちこの国の政権党と闇のカルト集団との蜜月関係が明るみに出はじめた。
 人心が離れることを恐れた今の首相は慌てて内閣改造に乗り出した。闇の集団との関係が取り沙汰された七人の大臣が追放された。しかし焼け石に水だった。一新されたはずの内閣の中にも闇の集団と関わりのある人物が八人いた。
 闇の集団はまるでシロアリのように政権党の中枢まで蝕んでおり、駆除するには党を解体するしかないレベルに達していた。闇の集団との関係を追求された政治家は「シロアリだとは知らなかった」「アリだと思っていた」と釈明した。シロアリ駆除をする気があるのかないのか、首相は「われ関せず」だった。
 そんな折、別の事件が表面化した。国の威信をかけて一年前に開催された祭典での不正が発覚、幹部が逮捕されたのである。この幹部が前に属していたのは国の広告を司る利権集団で、やはり政権党とのただならぬ関係が噂されていた。
 もはや呪われた政権だった。夏は終わる。秋には元首相の国葬が控えている。
              2022.8.24             (文芸評論家)


2022年8月22日月曜日

NO.660〜2022年8月22日(月)その2〜対馬丸撃沈78年、 毎日夕刊記事〜


 *毎日新聞

 8月22日(月)

 夕刊*

 🌻 昭和天皇が、特攻に涙したことより、

 対馬丸の悲劇のほうがよほど大事だと思う。記事全文を書き写す。

<太平洋戦争後期に沖縄を出港した学童疎開船「対馬丸」が鹿児島県沖で米潜水艦に撃沈され、子どもら1500人近くが犠牲になった事件から78年となる22日、那覇市の碑「小桜の塔」で慰霊祭が開かれた。新型コロナウイルス禍の影響で2021年に続き一般参加は見送り、対馬丸記念館(同市)の職員らで実施。

 対馬丸は1944年8月21日、長崎に向け那覇を出港。翌22日夜、鹿児島県・トカラ列島の悪石島(あくせきじま)沖で米海軍潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した。記念館によると国民学校の学童や教員、広島が拠点だった陸軍船舶砲兵ら計1788人が乗船したとされ、判明している犠牲者数は1484人。

 沖縄の日本復帰50年を記念した22年5月の式典では、生存者の高良(たから)政勝さん(82)が県民代表として悲劇を語った。

対馬丸記念館(つしままるきねんかん)は、沖縄県那覇市若狭にある、1944年対馬丸事件についての資料が保存された施設[1]。(ウイキペディアより)


NO.659〜2022年8月22日(月)東京新聞今日の夕刊7面記事に違和感

 

😡 今日22日東京新聞夕刊7面の記事<天皇は特攻に涙>は、どのような意図があるのか。私はこのブログNO.647(今年の8月15日)で、「近衛上奏文」(1945年2月14日)を取り上げ、泥沼戦争の早期解決、つまりギブアップを進言したが、もう一度戦果をあげてからなどと言って「上奏文」を取り上げなかったことや、1945年7月26日のポツダム宣言を即受け入れなかったがために、広島長崎への原爆投下をよんでしまったことを取り上げ、昭和天皇の戦争責任を言った。ところが今日の写真の記事は、昭和天皇のこれらの戦争責任を無視しているように見える。「特攻に涙」とか、「兵士・戦況への関心」とか「戦後を憂慮」とか、さも、昭和天皇がこの戦争を心配し、国民を心配していたかのような取り上げ方をしている。国民の心配よりも天皇制が守られるかどうかが一番の関心事だったのではないか。アジアの国々の人々が被った大きな被害、日本の原爆被害や国中に広がった空襲被害、アジア太平洋戦争で無駄死にした多くの国民、その責任は「神国日本」の最高権力者である天皇にある。極東軍事裁判で、オーストラリアは天皇訴追を主張したというが、戦後処理をうまく進めるためには、天皇訴追はせず天皇制も残したほうがいいというアメリカなどの意見で、天皇は何のお咎めもなかった。それが国民主権を謳った「日本国憲法」の第1章(第1条から第8条まで)に天皇条項を置くということになってしまった。私が学んだほんのわずかな知識からでも、昭和天皇の訴追をしなかったことが、戦後の日本や日本人のあり方を規定し、今に至るも「男系男子によって引き継がれる『天皇制』」が存在している。『象徴天皇制』などという、誰に聞いても確かな説明はできないだろう制度に日本人の精神は縛られている。戦後77年、もう一度「天皇制」をどうするか考え直してもいいのではないかと思う。そんな気持ちでいるときに、昭和天皇は「特攻」に涙したなどの大きな記事を見せられるとは!せめてその記事の隣に、「近衛上奏文」や「ポツダム宣言」受け入れを伸ばした経緯を載せて欲しかった。大学生が学生生活半ばに「天皇陛下万歳!」と叫んで(実際は叫ばされて)戦地に送られ、多くは戦死したその事実、天皇のために戦った指導者の多くは絞首刑となり、昭和天皇は訴追もされず、退位もせず、その子や孫が、敗戦後77年の今も天皇制を守っている。
 このブログでも何度か取り上げた、私の尊敬する詩人「茨木のり子」の詩をもう一度引用。


   四海波静    
       茨木のり子詩集<自分の感受性くらい>78ページより

戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます

思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(エラ)ぎに笑(エラ)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア

野ざらしのどくろさえ
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味悪い群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘


2022年8月21日日曜日

NO.658〜2022年8月21日(日)その2〜新聞記事から〜

東京新聞21日(日)21面

高校生パレード








新聞赤旗21日(日)1面

                                           東京新聞21日(日)

「こちら特報部」                        








NO.657〜2022年8月21日(日)〜かずちゃんだよりとかずちゃんのリクエストに答えて〜

 🍀 TV、それもNHKにまだまだがんばって、人間が忘れてはならないことを追いかけ続け、報道しようとする人がいるんですね。

熊本、新潟、カナダそしてイラク、イラク?知らなかった、それもおそらくは知らず知らされず、農業者自身が撒いた消毒薬!なんとなんと、言葉もありません。
今回の   ブログ656にも、深く感謝です。
そろそろ、植物の写真なぞをよろしく🙇🙇🙇🍀

🌻 かずちゃんからのリクエストですが、今、我が庭は夏枯れ。季節の変わり目で、秋の準備をしているところかな。でも、せっかくのリクエストなので、ついさっき信州の幼馴染から届いた高原野菜の一部、秋になっても元気な紫陽花、松の緑、紫式部の緑の実、を載せます。


紫陽花は、このままだんだん紅葉色になって、一冬そのまま。




かぼちゃとキャベツとブロッコリーとキュウリは、
今朝信州の幼馴染から届きました。
ちょうど妹が来ていて、この写真にないトウモロコシやサニーレタスなども含めて、この4倍くらいの野菜を持ち帰りました。
妹の家は家族が多いのでね。

                                                     
                                                            
ムラサキシキブの実は、もう少ししたら、宝石のような輝くムラサキになるでしょう。



松は、夏の初めに植木屋さんが剪定してくれたら、今吸い込まれるような新緑になっています。

夏枯れの庭ですが、緑は美しい。

植物の写真をとリクエストしてくれたかずちゃん。
ご期待に添えませんが、こんなところで。

2022年8月20日土曜日

NO.656〜2022年8月20日(土)〜水俣条約〜

🌻 早起きして何となくTVをONにしたら以下の番組が始まったところだった。 

時論公論「水俣条約発効5年 教訓をどう受け継ぐか」

NHK「[総合] 2022年08月20日 午前4:10 ~ 午前4:20 (10分)
水銀に関する水俣条約
通称・略称水銀条約、水俣条約
署名2013年10月10日
署名場所日本の旗熊本市
発効2017年8月16日
寄託者国際連合事務総長
言語アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語
主な内容水銀および水銀化合物の人為的な排出および放出から人の健康および環境を保護する
今日見たのは、昨日の放送の再放送だった。条約発効が、5年前2017年8月16日ということで、今年は5年目なのだが、今日の解説では条約制定5年目だが、関係者が高齢化したことなどによって、水俣病への関心が薄れてきたことを危惧していた。そういえば、メディアの、水俣病に関する報道も少なくなっているような気がする。水銀中毒は、水俣病だけでなく、ウイキペディアで検索したら以下のような事例が記述されている。

この番組の放送予定は、NHKのサイトによると、次回は


[総合] 月~金 
午後11時35分~11時45分

[総合] 
火~土 午前4時10分~4時20分
[再放送]
[BS1] 火~土 午前5時50分~6時00分[再放送]
[総合] 月~金 午後2時50分~3時00分[再々放送]

2022年8月19日金曜日

NO.655〜2022年8月19日(金)その3〜せっちゃんだより〜

 💐 母は、終戦の年、32才。末の、妹は、昭和23年生まれの団塊の世代です。

  母は、私は貝になりたい に、とても心を打たれたらしく、涙ながらに、戦争の恐ろしさ、規律に従わざるえない、下っぱの惨めさを、何回も、口にしていました。
  
  ドイツでは、まだ、ナチスの!言いなりに、下っ端の看守、役人として、ユダヤ人殺害に関わったドイツ人を、徹底的に探しだし、裁判にかけているそうです。
  昨日の、東京新聞、夕刊で、知りました。
もう、彼等も超高齢。なかには、100才の容疑者もいて、そこまで?と、疑問もあるそうですが、殺害されたのは、乳児から年寄りなんだ、と、徹底して探しだしているそうです。
  収容所の看守、役人も、命令に従わざるを得なかった人もいるでしょう。
裁判の判決では、禁固などらしいです。たとえ、命令でも、非人間的な行為を裁くのは、大切でしようね。
当時は、フランスのビシー政権が、粛々とナチスの命に従い、収容所送りに協力したとのこと。
 貝になりたいの下級兵士は、確か、外国での裁判で、死刑だった。
やはり、戦争は理不尽で、恐ろしい。
8月に流れた沢山の汗は、理不尽に、国家によって殺された、沢山の人たちの、涙かも、しれません。 💐

🌻 私やせっちゃんは、かろうじてあの太平洋戦争を実感として語れる年代ですよね。現職の頃は、こどもたちに、戦争中や戦後の話をしていましたが、今では、小中学校でそんな話ができる先生はいないわけで、よっぽど意識的に計画しないと戦争の話など子どもたちはわからないでしょうね。この先世界はどうなっていくのかな。せっかく生まれてきた子どもたちが、わけもわからず、戦争で命を落とすなんて、ひどすぎる話。でも、今、世界の権力者たちは、そんな子どもたちのことなど考えたこともないのでしょうね。日本では、幼子を抱えた親たちが反戦のデモ行進をすることなどないのかな。🌻

 

NO.654〜2022年8月19日(金)その2〜トランプも統一教会シンパ!?





 













         毎日新聞8月19日(金)朝刊4面

やっぱりと言おうか、さもありなんと言おうか、とにかくもう、めちゃくちゃだね。統一教会と繋がっていたトランプを招く国葬なんて冗談でしよ。国葬がないどころか、岸田内閣総辞職せよ!

ここまで舐められて、まだ自民党ですか!?支持者の皆様!安倍晋三という人は、トランプとプーチンを日本に招いて大歓迎したことをお忘れですか!?

死んだ人は仏さまとか、死人に鞭打つなとか、聞いたような気がするけれど、死んでも生きても許せないことをした者は、後々までも、その行為を糾弾される、糾弾するのが正しい。

世の中の評論家とか知識人とか、とにかく我々凡人をリードしていこうという人々は、忖度や遠慮や右顧左眄などとは縁がないはず。ご自分の経歴に泥を塗ることのないよう、後々までも語り継がれるようなビシッとした論陣を張って、我々がスカッとするような安倍批判、統一協会(教会?)批判をしてほしい。いい加減な言い訳をしている国会議員たちが、尻尾を巻いて逃げ出すところまで追い込んでほしい。メディアも萩生田の国民をなめた言い訳を聞き流さず、とことん追い詰めるべきだ。



東京新聞 8月19日(金)

「こちら特報部」

旧統一教会系機関紙を読む

目の付け所がいいですよね!

今日の東京新聞は、購読していない方も、ぜひ買ってお読みになることをお勧めします。

リード部分を以下に。


世界統一家庭連合(旧統一教会)を巡る議論では、金銭トラブルに意識が向きがちだが、注意すべきは荒ぶる言説もだ。教団系の政治団体「国際勝共連合」の機関紙を精読すると、沖縄の反基地運動や脱原発の活動を標的にし、扇動的な言葉で敵意をあらわにしてきたことが分かる。そもそも教団側は市民自治を疎ましく思う節すらある。彼らと接触した政治家は何を思うのか。「素顔を知らず」で済む話ではない。

(中澤圭子、木原育子)
このリード部分素晴らしい。本文を読んで見たくなります。



このデスクメモも素晴らしい!
とにかく今日のこちら特報部は
永久保存です。


<見出しの一覧>
*標的は反基地・脱原発*3・11直後に原発推進論*扇動的主張 実態よりも「物語」?
*市民自治を疎む節*「地域乗っ取り策」*善悪二元論 保守系議員と共鳴*「反共」が存在意義、言わざるをえない?

NO.653〜2022年8月19日(金)〜かずちゃん便り、かずちゃんの怒りに全く同感!〜

 🍀 ムカムカムカムカして、言いたいことがまとまってはいないのに、吐き出す先は「一寸先は闇」さんしかないな、とメールさせてください。どうぞ読み捨ててくださいませね。

🌻いや、読み捨てなど勿体な〜い!!!🌻

私はここのところ、「日本は統一教会でできている」というコピーが頭から離れない!作ったのは私、唱えているのは私一人。🌻は、「自民統一狂会」と名付けましたぞ
だって安倍が総理に成って以降は、おそらく自民の選挙勝利は、統一教会パワ-だったのでしょう。なんとなく、なんでこんなに安倍って金、持ってんの?って感じも、誰が自民に投票してんだろうという不思議感覚も、当たらずといえども遠からず、統一教会パワ-が働いてたんでしょうね。
生稲なんだかが、萩生田と統一教会の集会に選挙街頭遊説おっぽり出して、駆けつけたのは
「政策を聞いてもらうため」とほざいたら、「え?お前に政策なんかあるの?」のツイ-トで溢れました(みんなよく知ってますね)。
🌻 👏その通り👏 🌻
笹川が文鮮明に土下座したいと言った時から、自民政権の今の磐石は約束されていたろうし、今の統一教会の日本乗っ取りの成就も、実現したも同然だったんでしょうね。

うちの息子が赤ん坊の頃の、納豆好きは聞きしに勝るものでした!3食納豆は当たり前、なんならおやつも納豆がいい!って感じ。「息子のすべては納豆でできている」が、私の見解。
と同じように、自民党も今の政権も、今の日本も「統一教会でできている」👿
だからコロナで亡びようが、貧困で絶滅しようが、すべて統一教会の思し召しなのです。
ああ、スッキリした!すみませんでした。

しっかし東京新聞今日19日朝刊3面の萩生田、酷いですね、いくらなんでも。
日本はどうなるんかな⁉おそまつ。
🌻下の写真の記事が、萩生田の酷い一問一答。答えになってない。自民党支持の皆さん、なめられてますよ!!!🌻

最後の言葉をもう一度。

女性連合と教団の関係に関し「名称が非常に似ているとの思いはあったが、あえて触れなかった」と述べた。「財政的支援や寄付は一切うけたことはない」断言したが、選挙の手伝いを受けた可能性の有無を問われ「私からお願いしたことはない。もしかしたら、そういう方がいたことは否定できないかもしれない。私にはわかりません。」と言葉を濁した。

🌻もう、恥ずかしいなんてもんじゃないね。とにかくこんな輩が日本国の政治をぎゅうじっているんだよね。殴り倒したいな。(500パーセント実現不可能だけどさ)🌻

2022年8月18日木曜日

NO.652〜2022年8月18日(木)〜私は貝になりたい〜

私は貝になりたい

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

TBSテレビの前身、ラジオ東京テレビ(KRT)が1958年に制作したテレビドラマである。三洋電機一社提供による単発ドラマ番組『サンヨーテレビ劇場』の一編(第42回)として、1958年10月31日に放送。通常は22時00分から30分間の放送枠だったが、このドラマでは22時00分 - 23時40分に拡大された(本編の全長は約92分)。主演はフランキー堺テレビ放送黎明期に制作され大きな反響を呼び、“ドラマのTBS”の礎となった作品として、日本のテレビ史に語り継がれている。

冒頭部分には、実際の極東国際軍事裁判の映像(東條英機元首相に判決が言い渡される様子)が使用されている。

 私は貝になりたい』(わたしはかいになりたい)は、ラジオ東京テレビ(KRT、現・TBSテレビ)の「サンヨーテレビ劇場」で1958年10月31日の22時00分 - 23時40分に放送された日本テレビドラマ。元陸軍中尉・加藤哲太郎の獄中手記「狂える戦犯死刑囚」の遺書部分をもとに創作された橋本忍脚本によるフィクションで、第二次世界大戦中に上官の命令で捕虜を刺殺した理髪店主が戦後C級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描く。岡本愛彦演出、フランキー堺主演。第13回文部省芸術祭芸術祭賞[注 1](放送部門)受賞作[注 2]

1959年2008年に映画として、1994年にテレビドラマとしてリメイクされた。


🌻 戦後77年、この年1945年10月8日生まれの妹(今は私の命綱)が、この秋、喜寿です!あの敗戦の日、天皇の「終戦の詔」が雑音混じりのラジオから流れた時、私の家族は両親と姉、長兄、次兄、私、弟の7人家族。父の郷里、信州の山村にいました。末っ子の妹は母のお腹の中にいた。戦後の混乱の中、よく無事に生まれ、無事に喜寿を迎えたね!そして妹がこの秋喜寿という現在2022年8月18日の今日、両親、姉、長兄、弟はすでに千の風になり、次兄と私、妹は東京に住む。兄と妹は連れ合いがいるが、私は連れ合いを亡くして早18年。連れ合いは長兄と同じ年で、学徒動員寸前に敗戦となり、命拾いしている。まあ、こんな個人的なことでもいろいろあった77年。でも、私が一番思うことは、ホモサピエンスつまり人間の変わりようだ。77年前の人間と今現在の人間とは、同じ種、つまり同じホモサピエンスなのかということ。年々進歩してきたはずだったが、一番変わって欲しかった悪の部分は変わるどころかますます悪くなり、善の部分つまり「人間らしさ」は日ごと年ごとに失われている。そんな嘆きは、年寄りの繰り言かもしれないね。

🌻 敗戦の年の冬は本当に寒かった。標高800メートルくらいの村は、ことのほか寒く、茅葺屋根の築100年以上の家は暖房といえば掘りごたつと囲炉裏。こたつを囲んで四方に布団を敷き家族全員寝るのだ(ブリキ製の湯たんぽもあったな。)でも、掛け布団の襟が、吐く息でうっすら凍っていたこともあった。そんな寒さの中で、風邪もひかずに冬をやり過ごした。77年前の私は、1946年4月国民学校1年生。そして翌年、教育基本法に伴って小学校2年生となった。栄養失調という言葉を覚えたのもその頃。みんなお腹を空かせていた。その上、髪の毛にはシラミがつき、お腹には回虫が湧き、目はトラホームになり、よく生き延びましたね。そんな中で、中学3年生(15歳)になった時には、男女共、学校のくみ取り便所の汲み取りまでしたんですよ。考えられますか!?天秤棒の真ん中に肥桶を吊るして前後を担いで河原に作られた捨て場に汚物を捨てるんです。受験勉強なんかいつしたのかな。

 それでも、「人間は男も女も自分の食い扶持は自分で稼ぐ人生を送れ」との母の信念で、地元の高校から東京の国立大学に行き、東京の公立学校の教師となった。大学時代は、父は失業中、親の仕送りなど全く当てにできず、奨学金と二箇所の家庭教師のアルバイトで生活費、学費とも賄った。名画座で3本立ての洋画を見ること、古本屋で月遅れの映画雑誌を買うことが娯楽だった。豊かな学友が、夏はテニス、冬はスキーなどと、青春を謳歌していたが、全く無縁。しかし貧乏生活を悲観することはなかった。演歌の文句じゃないが「ボロは着てても心の錦」だったね(負け惜しみかな?)

 そんな暮らしをした私が、白髪のばあちゃんになって、パソコンの前でキーボードで、むかしの思い出話を綴っている。夢にも思わなかった老後の姿。現在の小、中学生が60年、70年後、地球は、人間社会はどんなことになっているのか、想像もできません。その頃を一瞬でもいいから見てみたいという気持ちと、もしかして地球は、核戦争の果てに消滅しているかもという空恐ろしい想像とが交錯します。本当にどうなっているのでしょうね。

 さて、今日のブログの最初に挙げた『私は貝になりたい』(テレビドラマや映画になった)を、戦後77年の今年、どこかで放送してくれないかなと思います。今年、戦後77年を記して、「私は貝になりたい」のような名作ができるかしら。今日はこの辺で。年寄りの繰り言は長くていけない、ごめんなさいね。