2022年8月18日木曜日

NO.652〜2022年8月18日(木)〜私は貝になりたい〜

私は貝になりたい

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

TBSテレビの前身、ラジオ東京テレビ(KRT)が1958年に制作したテレビドラマである。三洋電機一社提供による単発ドラマ番組『サンヨーテレビ劇場』の一編(第42回)として、1958年10月31日に放送。通常は22時00分から30分間の放送枠だったが、このドラマでは22時00分 - 23時40分に拡大された(本編の全長は約92分)。主演はフランキー堺テレビ放送黎明期に制作され大きな反響を呼び、“ドラマのTBS”の礎となった作品として、日本のテレビ史に語り継がれている。

冒頭部分には、実際の極東国際軍事裁判の映像(東條英機元首相に判決が言い渡される様子)が使用されている。

 私は貝になりたい』(わたしはかいになりたい)は、ラジオ東京テレビ(KRT、現・TBSテレビ)の「サンヨーテレビ劇場」で1958年10月31日の22時00分 - 23時40分に放送された日本テレビドラマ。元陸軍中尉・加藤哲太郎の獄中手記「狂える戦犯死刑囚」の遺書部分をもとに創作された橋本忍脚本によるフィクションで、第二次世界大戦中に上官の命令で捕虜を刺殺した理髪店主が戦後C級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描く。岡本愛彦演出、フランキー堺主演。第13回文部省芸術祭芸術祭賞[注 1](放送部門)受賞作[注 2]

1959年2008年に映画として、1994年にテレビドラマとしてリメイクされた。


🌻 戦後77年、この年1945年10月8日生まれの妹(今は私の命綱)が、この秋、喜寿です!あの敗戦の日、天皇の「終戦の詔」が雑音混じりのラジオから流れた時、私の家族は両親と姉、長兄、次兄、私、弟の7人家族。父の郷里、信州の山村にいました。末っ子の妹は母のお腹の中にいた。戦後の混乱の中、よく無事に生まれ、無事に喜寿を迎えたね!そして妹がこの秋喜寿という現在2022年8月18日の今日、両親、姉、長兄、弟はすでに千の風になり、次兄と私、妹は東京に住む。兄と妹は連れ合いがいるが、私は連れ合いを亡くして早18年。連れ合いは長兄と同じ年で、学徒動員寸前に敗戦となり、命拾いしている。まあ、こんな個人的なことでもいろいろあった77年。でも、私が一番思うことは、ホモサピエンスつまり人間の変わりようだ。77年前の人間と今現在の人間とは、同じ種、つまり同じホモサピエンスなのかということ。年々進歩してきたはずだったが、一番変わって欲しかった悪の部分は変わるどころかますます悪くなり、善の部分つまり「人間らしさ」は日ごと年ごとに失われている。そんな嘆きは、年寄りの繰り言かもしれないね。

🌻 敗戦の年の冬は本当に寒かった。標高800メートルくらいの村は、ことのほか寒く、茅葺屋根の築100年以上の家は暖房といえば掘りごたつと囲炉裏。こたつを囲んで四方に布団を敷き家族全員寝るのだ(ブリキ製の湯たんぽもあったな。)でも、掛け布団の襟が、吐く息でうっすら凍っていたこともあった。そんな寒さの中で、風邪もひかずに冬をやり過ごした。77年前の私は、1946年4月国民学校1年生。そして翌年、教育基本法に伴って小学校2年生となった。栄養失調という言葉を覚えたのもその頃。みんなお腹を空かせていた。その上、髪の毛にはシラミがつき、お腹には回虫が湧き、目はトラホームになり、よく生き延びましたね。そんな中で、中学3年生(15歳)になった時には、男女共、学校のくみ取り便所の汲み取りまでしたんですよ。考えられますか!?天秤棒の真ん中に肥桶を吊るして前後を担いで河原に作られた捨て場に汚物を捨てるんです。受験勉強なんかいつしたのかな。

 それでも、「人間は男も女も自分の食い扶持は自分で稼ぐ人生を送れ」との母の信念で、地元の高校から東京の国立大学に行き、東京の公立学校の教師となった。大学時代は、父は失業中、親の仕送りなど全く当てにできず、奨学金と二箇所の家庭教師のアルバイトで生活費、学費とも賄った。名画座で3本立ての洋画を見ること、古本屋で月遅れの映画雑誌を買うことが娯楽だった。豊かな学友が、夏はテニス、冬はスキーなどと、青春を謳歌していたが、全く無縁。しかし貧乏生活を悲観することはなかった。演歌の文句じゃないが「ボロは着てても心の錦」だったね(負け惜しみかな?)

 そんな暮らしをした私が、白髪のばあちゃんになって、パソコンの前でキーボードで、むかしの思い出話を綴っている。夢にも思わなかった老後の姿。現在の小、中学生が60年、70年後、地球は、人間社会はどんなことになっているのか、想像もできません。その頃を一瞬でもいいから見てみたいという気持ちと、もしかして地球は、核戦争の果てに消滅しているかもという空恐ろしい想像とが交錯します。本当にどうなっているのでしょうね。

 さて、今日のブログの最初に挙げた『私は貝になりたい』(テレビドラマや映画になった)を、戦後77年の今年、どこかで放送してくれないかなと思います。今年、戦後77年を記して、「私は貝になりたい」のような名作ができるかしら。今日はこの辺で。年寄りの繰り言は長くていけない、ごめんなさいね。