2022年8月15日月曜日

NO.647〜2022年8月15日(月)〜敗戦記念日その④〜侵略戦争の加害者だった日本〜

🌻  以下の投稿は、歴史的事実も多く、かなり長文になってしまって、多分何箇所も誤字脱字歴史的事実の誤りなどあるのではないかと心配です。お気付きの点は是非お知らせください。

🌻 終戦から77年といい、新聞テレビなどメディアは様々な報道をしているが、私はやっぱり太平洋戦争における加害者の側面がおろそかになっていることに違和感を持つ。何よりも腹立たしいのは、ポツダム宣言受託が遅かったことが、広島長崎への原爆投下を招いたということが、あまりにも語られないことだ。防げたことだったのだ。その責任者はほかならぬ昭和天皇その人だったのに、終戦の詔勅において「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…」と言ったこと。もっとも堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで来たのは、命を差し出された国民だったのだ。

 何より、すでに負け戦が明白になっていた1945年2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に差し出した「近衛上奏文」早期終戦を言っている。にもかかわらず天皇は、受け入れなかった。戦況はますます悪化し、全国への大空襲。沖縄への鉄の暴風と言われた大爆撃と沖縄人民の無残な死を招いた。

 さらに、1945年7月26日にポツダム宣言が出された。これは、日本への降伏要求の最終宣言だ。この段階で、宣言を受け入れ、降伏していたら広島長崎への原爆投下はなかった。ぐずぐずしているうちに広島長崎への原爆投下という最悪の事態を引き起こし、ようやく8月14日に受託8月15日正午の天皇の放送となった。この時でも、国民はそこに至る経緯は知らされていなかった。そして終戦の詔勅を聞いた国民は、皇居前広場(当時は宮城前広場)で皇居(宮城)に向かって土下座したのだ。ポツダム宣言の5ヶ月前の、2月の近衛上奏を受け入れていれば原爆投下もその前の全国への大空襲も、もちろん沖縄が鉄の暴風の犠牲になることもなかった。

 第二次世界対戦で三国同盟を結んでいたドイツとイタリア、まずイタリアのムッソリーニが4月28日に処刑され、4月30日ヒトラー自殺5月7日ドイツ無条件降伏というなりゆき。その中で、日本は全く無謀な戦争を続け7月26日に出されたポツダム宣言を無視して広島長崎への原爆投下を許してしまった。

 もちろん原爆投下は100パーセント許しがたいことであり、投下したメリカを非難し、何年たっても原爆の被害を世界に訴え続けなければならないが、その原因を作った日本政府への批判、最高責任者の天皇の責任追及、さらにアジア太平洋地域への日本軍の加害の事実など、8月15日という節目の日に私たちが考えなければならないことは山ほどある。戦争の悲惨を伝える場合、被害者の立場と同様に加害者でもあった日本国の加害の事実も同時に明らかにし、その悲惨も伝え、謝罪もしなければならない。なにより太平洋戦争の最高責任者であった天皇がなんら責任を取らず、しかもその後も天皇制を温存され、今日の全国戦没者追悼式に、裕仁の孫が言葉を述べる。

 日本国は、本当に民主主義国なのかと疑う。どう考えても日本国憲法の第1章(第1条から8条まで)に天皇条項があり、第8条に至ってようやく人民主体の条文となる。敗戦を終戦と言い換え、アジア各地への甚大なる加害をわすれ戦争を語るといえば被害者としての物語が多い。もちろん被害者としての物語を語り継ぐことも大事だが、それこそ何の罪もないアジア各地の民衆の命を奪ったことを語り継がなければならない。

 (なお、今夜NHKで10時から11時まで「NHKスペシャル ビルマ絶望の戦場」など、さらに、深夜0時45分から「映像の世紀イッキ見*ベルリンの壁崩壊とメルケル*スターリンとプーチン」などがある。録画しておくといいかも。)