2022年8月22日月曜日

NO.660〜2022年8月22日(月)その2〜対馬丸撃沈78年、 毎日夕刊記事〜


 *毎日新聞

 8月22日(月)

 夕刊*

 🌻 昭和天皇が、特攻に涙したことより、

 対馬丸の悲劇のほうがよほど大事だと思う。記事全文を書き写す。

<太平洋戦争後期に沖縄を出港した学童疎開船「対馬丸」が鹿児島県沖で米潜水艦に撃沈され、子どもら1500人近くが犠牲になった事件から78年となる22日、那覇市の碑「小桜の塔」で慰霊祭が開かれた。新型コロナウイルス禍の影響で2021年に続き一般参加は見送り、対馬丸記念館(同市)の職員らで実施。

 対馬丸は1944年8月21日、長崎に向け那覇を出港。翌22日夜、鹿児島県・トカラ列島の悪石島(あくせきじま)沖で米海軍潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した。記念館によると国民学校の学童や教員、広島が拠点だった陸軍船舶砲兵ら計1788人が乗船したとされ、判明している犠牲者数は1484人。

 沖縄の日本復帰50年を記念した22年5月の式典では、生存者の高良(たから)政勝さん(82)が県民代表として悲劇を語った。

対馬丸記念館(つしままるきねんかん)は、沖縄県那覇市若狭にある、1944年対馬丸事件についての資料が保存された施設[1]。(ウイキペディアより)