2021年9月16日木曜日

NO.271 9月9日(木曜日)の東京新聞社説

* 今日は9月16日。新聞のスクラップを整理していて、9日の東京新聞社説をブログに取り上げなかったのを思い出した。こんな大事なことを忘れるとは、ナオコばーちゃんだいぶボケましたな!というわけで、9日の社説丸写しです。

新聞の存在理由を問う   桐生悠々を偲んで 

 気骨のジャーナリスト、桐生悠々=写真=は80年前の明日10日に亡くなりました。破滅的な戦争へと向かう時代、古巣の新聞界にも批判の矛先を向け、奮起を促し続けた悠々を偲び、今の時代にも通じる教訓を読み取ります。

 悠々は、本紙を発行する中日新聞社の前身の一つ「新愛知新聞」や、長野県の「信濃毎日新聞」などで編集、論説の総責任者である主筆を務めた言論人です。

 明治から大正、戦前期の昭和まで、藩閥政治家や官僚、軍部の横暴を筆鋒鋭く批判し続けました。その報道姿勢は、今も私たち新聞記者のお手本であり続けます。

 悠々は信毎時代の1933(昭和8)年8月11日付の評論「関東防空大演習を嗤う」が、軍部の怒りや在郷軍人会の不買運動を招いて、信毎を追われます。

   政府の提灯持ちと批判

 新愛知時代に住んでいた守山町(現名古屋市守山区)に戻った悠々は個人誌「他山の石」の発行で糊口をしのぎます。軍部や権力への旺盛な批判がやむことはなく、同誌の発行は、悠々が喉頭がんで亡くなる直前の41(同16)年9月5日号まで続きました。

 ただ、この号は発行に至りませんでした。原稿を活字に組み込んだものの、病状が悪化して、校正作業をするための「校正刷り」段階にとどまったためです。悠々は8日、友人や読者に「他山の石」廃刊の辞を発送し、10日に息を引き取ります。68歳でした。

 悠々の「遺言」とも言える最後の9月5日号に掲載されているのが「科学的新聞記者」という記事です。抜粋して紹介します。

 <この頃の新聞に至っては、...全然社会を無視して、時の政府の反射鏡たらんとしている。輿論を代表せずして、政府の提灯を持っているだけである。そして彼等は矛盾極まる統制の名の下に、これを彼等の職域奉公と心得ている><今日の新聞は全然その存在理由失いつつある。従って人はこれを無くもがなのものとしているけれども、他に代わってその機能を果たすものなきが故に、彼等は已むを得ずなおこれを購読しつつある。...今日のだらしない状態である>

 <将来の新聞は科学的でなくてはならない。現在に於いて、全くその態度を一変しても、早くはあるまい><神秘主義を尊奉するに至っては、その存在理由を失うのは明である。見よ、彼等は既にその存在理由を失わんとしつつある。試みに街頭に出て、民衆の言うところを聞け、彼等は殆ど挙げて今日の新聞紙を無用視しつつあるではないか>

 軍部が政治の実権を握り、すでに日中戦争に突入し、国家総動員で日米開戦に向かう時代です。

 残された時間の短さを自ら感じ取った悠々は、言論統制や戦争協力に甘んじる新聞や記者の現状を憂い、最後に、書き残しておかねばならないと考えたのでしょう。

 それは、悠々にとって「言いたいこと」ではなく「言わねばならぬこと」だったはずです。

   今の時代に通じる警鐘

 私たちが暮らしてる今の日本は当時と違い、憲法で言論、報道の自由が保障されています。しかし、悠々の指摘は、今の時代にも通じる警鐘に思えてなりません。

 新聞などメディアは社会に寄り添い、世論を代表しているか。政府の言い分を垂れ流し、報道を規制されても公益のためと思考停止に陥っていないか。ネット時代に新聞は本当に求められているか。存在理由はどこにあるのか...。

 悠々が亡くなったのは日米開戦の三カ月前でした。「他山の石」廃刊の辞では「唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候」と、戦後の軍縮をも予想しています。

 悠々が理想とした一大軍縮は、日本では戦後、戦争放棄、戦力不保持の平和憲法に結実し、日本は戦争のない時代を過ごします。

 しかし、平和憲法の下、歴代内閣が憲法違反としてきた「集団的自衛権の行使」は、安倍晋三前政権によって容認に転じました。防衛費の増額も続きます。新聞などのメディアが声を上げ続けなければ、平和主義は一瞬にして骨抜きにされるのは歴史の教訓です。

 生涯言論人であり続けた悠々は私たちの新聞にとって進むべき方向を示す「極北の星」のような存在です。<今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある>。悠々が最後に書き残した一節は、没後80年の新聞を担う私たちにも自問自答を迫ります。

               (社説書き写しおわり)

 桐生悠々の伝記「抵抗の新聞人 桐生悠々」(井出孫六著 岩波新書)は我が愛読書の一つ。いつ、何度読んでも、胸に迫るものがあります。この本に東京新聞2020年10月22日夕刊、佐高信さんの、井出孫六さんを悼むという文章の切り抜きが挟んであります。素晴らしい追悼文です。