2021年4月30日金曜日

84.4月30日 二輪目のバラが咲いた


 * 4月30日という日は,忘れられない。2004年4月29日夫は日記を書いている。そして翌日、国立国際医療センターに何度目かの入院をした。それから6月29日にこの世を去るまで、一時退院をしたり、すぐまた容態急変で入院という事を繰り返し、最終的に東京衛生病院ホスピスに入院したのが6月20日。ほとんど意識はなく、寝台車で運ばれたのだった。それから意識は戻らないまま29日に永眠。

 何年か経って夫の日記帳を読み返し、最後の日記を書いたのが2004年4月30日だったと確かめた。天気の良い日で、庭に椅子を持ち出して、日向ぼっこをしながら私が庭仕事をしているのを眺めたと書いてある。夫の生前の最後の直筆日記。あれから17年も経ったのに、直筆日記を読むと夫の声までも聞こえるような気がしてこみ上げるものがある。その日記帳は5年連用日記帳で、2001年から2005年まで書けるものだったので、6月29日、夫が旅立ったあと、私が書き継いだ。6月29日午後2時42分、主治医と担当看護師が見守り、私と娘が、ベッドの両側で夫の手を握って話しかけている中で息を引き取った。入院時からほとんど意識はなかったけれど、主治医から最後まで聴覚はあるから話しかけてと言われて、私と娘がそれぞれ話しかけていた。今、コロナ禍のなかで、家族も看取れない、骨壷に収まって初めて家族と対面するというような状況を聞くと、本当に酷い事だと思う。なんとかコロナを抑え込む事ができないものか。

* 28日に載せたバラの写真。あのとき小さな蕾があるのを見つけて、最初の花を夫の仏壇に飾ったと書いたけれど、今日見たらもう開いていた。本当に嬉しい。クレマチスはそろそろ花びらが散り始めているが、まだ蕾も幾つかある。クレマチスの最初の開花が18日だったから、ずいぶん楽しませてもらった。

* 明日から5月、5月といえば「メーデー」。現職のときは、毎年欠かさずメーデーに参加していたけれど、たとえコロナがなくたって、最近の教員はメーデーどころじゃないのかも。

2021年4月29日木曜日

83.2016年秋、喜寿の祝いに贈られたプロテア



 *前号、No.82は「プロテアの由来」でしたが、おまけとして、プロテアの写真を。私がブログプロテアを始めたというので、娘一家が私の誕生祝いにプロテアの鉢植や、時には花束ををプレゼントしてくれるのです。鉢植えは上手く育てられませんでしたが、写真は保存してあるので、いつでも眺める事ができます。
上からの3枚。2016年10月16日鉢植えに蕾が見えます。蕾がだんだん大きくなって11月12日に開花




82.プロテアナオコの由来

 *ブログ筆者の名前を<プロテアナオコ>といいますが、この名前の由来を。興味のない方もおいででしょうが、このブログは自分の忘備録でもあるので、すみません。

2004年夫が亡くなった後、何も手がつかなかった時期を過ぎ2007年、A4用紙1枚のウルトラミニコミを発行し始めました。内容は「区政ウオッチング」。今まであまり関心がなかった区政。しかし10年近い夫の介護生活の中で、区政との関係を深め、区政は最も身近で生活に直結する政治だとわかり、一人になってたっぷりある時間を区議会傍聴に使い、そこで見聞きしたことを発信することにしました。今から14年前、2007年6月19日「区政ウオッチング第1号」発行。まだパソコンやスマホなどとは無縁でしたから、手書きの原稿をコンビニでコピーして、友人知人に郵送していました。紙代、コピー代、郵送代などかなりかかりましたけど(笑)

*現職の教員時代から、書くことは好きで、学級だより、学年だより、職場新聞などなどを発行し続けました。最初は,ガリ版刷りでしたが「ガリ版、鉄筆、蝋原紙」なんてもう死語でしょうね。でも我が家には全て揃っています。今ではガラクタかな?もしかしてお宝?

区政ウオッチングに名前をと思い、2007年9月15日13号になったところで「区政ウオッチングニュースプロテアと名付けました。なぜプロテアとしたかというと、私の誕生月の花、花言葉は「自由自在」、あのネルソンマンデラが大統領だった南アフリカ共和国の「国花」、さらに語源はギリシャ神話の「プロテウス」などの解説を読んで決めました。そのプロテアは2008年4月9日、49号で終わり。3ヶ月後、2008年7月6日パソコンデビュー(68才8ヶ月)、ブログプロテア開始。2016年12月26日まで投稿数4478回。全てバックアップはせず、タイトルのみプリントしましたが、それでもA4用紙で141枚。使っていたサーバーが終了しちゃって、その後どうしようかなと思っていましたが、しばらく、新聞投稿で「言いたい事言わねばならぬ事」を言い続けました。しかし、新聞投稿は,新聞社のフィルターを通すのでボツになる事もあり(採用率は80%くらい、採用回数40回あまり)採用されるかどうか待つのも嫌なので、やっぱり言いたい事言わねばならぬ事を即表現するためにはブログがいいと81歳にしてブログ再開となったわけ。で、ニックネームは懐かしい「プロテア」に本名の「ナオコ」をつけて「プロテアナオコ」としたというわけです。

*ブログタイトルは,最初は「ばあちゃんのひとりごと」でしたがこのタイトルはブログの世界にあふれているのでその後「一寸先は闇」という暗いタイトルにしました。81年生きてきて、世の中というか人生は、本当に思いがけない事が起き、もちろん思いがけず「光(すばらしいこと)」も起きますが、どちらかというと「闇(がっくりすること)」の方が多い気がして。最近の世相でも、人間界は「光」より「闇」の方が多いというのが実感ですが、植物の世界は「光」が多いかな。数年ぶりに咲いたバラのように。

2021年4月28日水曜日

81.バラが咲いた!

*バラが咲いた バラが咲いた まっかなバラが.........という歌が流行ったのはいつだったかなと思って検索したら、1966年4月4日リリース。作詞作曲浜口庫之助、歌手マイク眞木、なんとまあ懐かしいこと!プロテアナオコバーチャン26才!

*歌の話じゃないんです。今日、裏庭のクレマチスの写真を撮っていてふと見ると、クレマチスの葉陰にちらっと赤いものが。よく見たら可愛いバラの花がたった一つ咲いていたんです。もうびっくり。ここ何年も咲いたのを見なかったんですよ。裏庭なので、クレマチスもほったらかしだったのに2〜3年前から急に伸びてきてブログに載せたように花がどんどん大きくなり、花数も増えてきたのです。で、その根元にバラがあったけれど、ここ何年も咲かなかったので、存在さえ忘れていたのに。本当にごめんなさいです。まだ枯れたわけではないのよとばかりに、今年花が咲いたのです。

*我が家の庭は、51年前新築した時は西洋風の庭で中心はバラでした。数種類のバラを植えて今頃バラの開花の時期はそれは見事でした。庭は道路に面していて、塀はなくフェンスでしたから、通る人々が立ち止まって眺めていました。バラは,肥料や消毒やその他本当に手間のかかるもので、夫は還暦になってそろそろ世話も大変になり、還暦及び退職記念といって、バラ園はやめて、なんと全く違う岩や池を置いた日本風庭園(と言っても本当に狭いんですがね)に造り変えたのです。夫が亡くなって17年、現在私がブログに載せる山野草をはじめ、いろいろな植物たちは、みんな夫の丹精の賜物です。

*バラ園のバラのほとんどは姿を消したのですが、何株かはうら庭に移したと記憶しています。でも、その後花を見なかったので、枯れたとばかり思っていました。ところが今朝見つけたのです。びっくりしました。植物の生命力に感動です。よく見たらまだ蕾も幾つか見えるので、写真を撮った後、最初の1輪を夫の仏壇に供えて報告しました。


 右は昔のバラ園。道路側から庭を見たもの。昔のアルバムの写真を写したのでぼけちゃって。下は,今年のバラ。クレマチスの隣に一輪。


2021年4月27日火曜日

80.4月27日の庭の花


 


 
*ナガミノヒナゲシ*

ウイキペディアによると1961年に世田谷区で初めて確認されたそうで、今では全国に広がった帰化植物。1輪2輪見ると可愛いのですが、道路脇やちょっとした空き地などなど,ものすごい勢いで群れていますね。我が家の庭も気をつけないと在来の山野草が駆逐されそう。





*雪の下 ユキノシタ科ユキノシタ*


下の写真です。丸い葉が雪の下の葉。

地味な花ですがよく見ると可愛い。



79.日本国は戦争放棄の国のはず!?

*日本国憲法 * 昭和22年5月3日施行(5月3日憲法記念日)

日本国憲法前文

前略 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。後略

第2章 戦争の放棄

第9条

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

今更なんで「日本国憲法」を持ち出したのって思われるでしょうね。

実は今日の東京新聞朝刊7面世界の軍事費2.6%増という大見出しの記事が載ったのです。小見出しは 20年米中押し上げ コロナ禍でも最高額更新213兆円

2020年の統計ですが世界の軍事費上位10カ国という表を見たら、なんと日本は第9位。

米国7780億ドル、中国2520億ドル(推計値)、インド729億ドル、ロシア617億ドル、英国592億ドル、サウジアラビア575億ドル(推計値)、ドイツ528億ドル、フランス527億ドル、日本491億ドル、韓国457億ドル

記事によると国内総生産(GDP)に占める日本の軍事費の割合は1%で上位10カ国のうち最小。最も大きかったのはサウジアラビアの推計8・4%だった。

この記事を見て改めて憲法を持ち出したというわけです。GDPの1%であるかないかの問題ではなく、軍事費が世界の第9位491億ドルということが問題ではないか。日本は戦争を放棄した国ですよね!その国が年間491億ドル!もの軍事費を!

戦争放棄の憲法は,すでに死語なのか!?

2021年4月26日月曜日

78.ピカソ作 ゲルニカ



 *今日最初の投稿は、先ほどアップしましたが、2回目は、ピカソのゲルニカの複製の写真とゲルニカへの旅の記録の一部です。

*1988年、チェルノブイリ事故の2年後。夫婦の4回目のヨーロッパ旅行に出かけました。

スペイン中心の旅行で、その中でも、どうしてもゲルニカに行きたいという夫の希望でした。

*私は、のちに(1998年、最後の旅行から10年後)4回のヨーロッパ旅行を、ヨーロッパ駆け足旅行という旅行記にまとめて小冊子を作りましたが、その中のゲルニカに関する部分を引用します。

*ゲルニカは小さな町ですが、バスク地方の政治的中心都市です。だから、フランコに呼応したナチス空軍の標的にされたのですね。町の中心の丘の上に樹齢5千年といわれるカシの大木があり、バスクの村々の代表者たちがその木の下に集まって自治会議を開いていたのです。「ゲルニカの木」といわれるその木も空爆で炎上し、今は大きな焼け木杭になりましたが、その焼け木杭が、あずま屋風の屋根をつけて保存されており、その近くに小綺麗な州議会の建物があります。建物の裏手には、二代目、三代目の「ゲルニカの木」が植えられています。

 夫は中学生用の教科書(当時、夫は中学校社会科公民教科書の執筆をしていた)に、丸木夫妻の「原爆の図」と共にピカソの「ゲルニカ」を紹介し、「ドイツ軍の爆撃機は、防空壕にもいたたまれなくなって逃げまどう人々めがけて機銃掃射を浴びせました。羊市場の羊も、家畜市場の牛や馬も、吠え続けていた犬たちも子どもたちと同じように倒れ、吠えなくなりました。............」という、当時のこどもの作文を引用しています。

*ピカソのゲルニカには牛や馬も描かれていますね。この絵はいつ何度見ても激しく心が揺さぶられます。これを玄関に掲げていることは、私の誇りです。88年当時は原画は、プラド美術館別館に防弾ガラス越しに展示されていましたが、今日(2021年4月26日)ウイキペディアで検索したらソフィア王妃芸術センター所蔵と書いてあります。プラドで原画を見たことがつい昨日のことのように思い出されます。あれから33年、夫はあの世に、48歳の私は81歳の白髪のおばあちゃん!

77.ゲルニカそしてチェルノブイリ、東電原発事故

* 昨日は、チェルノブイリに関する投稿でした。

*今日、4月26日という日は 1937年4月26日ヒトラー(ナチスドイツ)による「ゲルニカ」爆撃の日。そして 1986年4月26日午前1時23分ソ連のチェルノブイリ原子力発電所が爆発した日、奇しくも同じ日に人間が起こしたことだった。

* 「ゲルニカ」は、相手国の軍隊ではなく一般の市民、人間以外の生き物すなわち動植物や自然そのものすべてを焼き尽くす空爆「無差別爆撃」の始まりだった。その後、日本による中国(重慶、上海、南京など)爆撃、そしてアメリカによる東京をはじめ各都市への爆撃、そしてついには1945年8月6日広島、9日長崎への原子爆弾による無差別爆撃となった。戦争での無差別虐殺兵器として登場した原爆は、その後核ミサイルに進化(!?)し、地球全体を破壊するほどの力を持つ兵器となった。

* 原子力という悪魔の火を手にしたホモサピエンスは「原子力の平和利用」の名の下に「原子力発電所」へと進みついには86年4月26日チェルノブイリでの大事故を起こす。世界各国はそれに懲りもせず国内に原発設置をし、日本も負けじと原発に力を入れる。どこの誰が言ったことなのか「原子力明るい未来のエネルギー」を町中に掲げて開設した「東京電力福島第一発電所」。2011年3月11日、地震と津波が東日本を襲い、「明るい未来のエネルギー」を生む発電所は手のつけられない残骸と化した。チェルノブイリは教訓にならなかったのか。教訓にしようという意志を持たなかったのか。チェルノブイリは事故から35年経った現在も廃炉は進んでいない。

*それにもかかわらず、地球温暖化解決のためと称して、日本国政府は原発推進路線を進んでいる。狂気の沙汰としか言いようがない。コロナ禍が収束する見込みは立たないなかで、オリンピック・パラリンピックを強行しようとしている、原発推進、オリパラ強行根っこは同じと見る。口を開けば「国民の命云々」と言いながら、自分はコロナにかからないと自惚れ、オリパラで大儲けできると考えている連中がいるということだ。ホモサピエンスの黄昏。

2021年4月25日日曜日

76.チェルノブイリ35年(東京新聞24日夕刊より)

 *4月24日東京新聞夕刊7面に、本橋成一さん(81)の記事が載った。鈴木久美子の署名記事。

見出しは 汚染地区牛飼い 重い問いかけ

「人間の汚した土地だろう、どこへ行けというのか」

「放射能生態系崩す」

チェルノブイリ35年 本橋成一さん最新記録映像

*記事全文をうつすわけにはいかないので、所々を書き写す。

「人間の汚した土地だろう、どこへ行けというのか」。旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の強制移住地区に一人残り住む牛飼の老人の言葉を追い掛けて、写真家・映画監督の本橋成一さん(81)は約30年、現地に通い続けている。これまで写真集やドキュメンタリー映画をつくり、今年はこの言葉をタイトルにした40分の記録映像作品を監督した。事故は26日で発生から35年になる。(鈴木久美子)

「人間の汚した土地........」は、95年に出会った元教師の牛飼アルカジイ・ナボーキンさん=当時(83)=の言葉だ。「なぜ移住しないのか?」の問い掛けに返ってきたその一言に、本橋さんはショックを受けた。「自分は思い上がっていた。恥ずかしかった」

 ナポーキンさんは牛27頭の世話をし、ジャガイモを育てていた。古びたアコーディオンを演奏し、その音が人生を表現しているようだと映画に撮ろうと考えたが、ナポーキンさんは牛泥棒に殺されてしまった。

「みんな生きものは自然の中で生きているのに、人間だけが知恵をつけて地球の生態系のバランスを崩している。放射能はその最たるもの。コロナもそうでしょう。人間の暮らしを変えなくてはいけない。そのことにナポーキンさんはちゃんと気が付いていた。」

 今回の記録映像作品は、一昨年の訪問の様子をまとめた。これまでの映画で主人公になった少女や青年は都市に移住しており、久々に再会して近況を伝えている。ナポーキンさんの教え子だった男性に初めて会い、墓参りもできた。

 時は流れる。どこへ行けっていうんだいー。

 問いかけは深まっていく。

*30日まで東京都中野区の映画館ポレポレ東中野=電03(3371)0088=で上映予定だが緊急事態宣言期間中は要確認。

*以上が記事の書き写し。

*チェルノブイリ、私の書棚に岩波現代文庫版の「チェルノブイリの祈り 未来の物語」がある。スベトラーナ・アレクシェービッチ著 松本妙子[訳] 2015年ノーベル文学賞受賞。また同じ著者・訳者の2016年9月29日岩波書店発行「セカンドハンドの時代」もならんでいる。

2021年4月24日土曜日

75.自民の電力安定供給推進議員連盟、原発推進提言

 24日のクレマチス。ツルが伸びて高いところに咲いているので、いい写真が撮れないのが悩み。左は下から。下の左は大写し。右は陽の光を透かして撮ったら我ながら素敵な写真になったと思いましたが、どうかしら。






<綺麗な写真の下にひどい新聞記事!>
毎日新聞朝刊24日5面



東京新聞は24日朝刊3面の左側半分弱を使って大きな記事を。
見出しだけ上げておきます。
再生エネと原発で5割超 
経産相30年度電源構成新目標
40年超原発再稼働 福井県議会が容認
「原発新増設を」自民議連提言
温室ガス口実に巻き返し

どうしても原発をやめられないんだね。私は子どものころ信州の山村で、毎晩のように停電があった。大きなろうそく(たしか100匁ろうそくって言ってたと思う)は、常備品だった。<蛍の光窓の雪>で文(ふみ)読むことはなかったけれど、ろうそくの灯りで勉強したことはよくあったね。電気製品など何もなかった。最低気温零下20度にもなる寒中でも、囲炉裏と炬燵しか暖房はなく、学校では薪ストーブで、しかも学校の裏山で子どもたちが、授業の一環で、焚付け用の枯れ枝集めをした。そんな経験を思うと電力がなければ1分1秒も過ごせない今の暮らしが、本当に人間らしい暮らしなのかどうか疑問だ。今すぐやめて欲しいのは、ライトアップというもの。人間の楽しみのために自然界を不夜城にするなど、それこそ不要不急だろう。特に植物は、夜は休息の時間。太陽の動きとともに生きているのだから、きっと夜中じゅう電気に照らされていたら体内時計が狂ってしまうのではないかな。非科学的な心配?


2021年4月23日金曜日

74.言霊の幸わう国は・・・

*今、午後9時半。さっきまで首相記者会見をNHKが中継していたが、全く熱気が感じられなかった。記者の質問も迫力がなかったが、それ以上に菅首相のなんともやる気のない発言、なんとかして国民に自分の考えを聞いて欲しい、わかってもらいたいという態度はゼロ。国民をなめているのか、本人はそれでいいと思っているのか、本当にあれで一国の首相がつとまってしまうのか。情けない、哀れ、恥ずかしい。中継も途中までだった。明日の朝刊各紙はこの哀れな記者会見をどう伝えるのかな。柿本人麻呂しきしまの大和の 言霊の幸(さき)わう国ぞ ま幸(さき)くありこそとうたったけれど、令和おじさんは、万葉集にあるこの歌をご存知かな。おじさんの言葉はこの歌とは縁がないね。

*さて、若葉の緑は目にやさしい。

この写真はなんでしょう?なんてもったいぶることないですね。早くも紫陽花のつぼみが顔を出しています。開花はいつごろかしら。






2021年4月22日木曜日

73.防衛医科大学校

*昨日の投稿で、防衛医科大学の決まりについて書きましたが防衛医科大学校のサイトには

以下のことが書いてあります。

*学生の身分 特別職国家公務員 *手当て 115800円(平成31年1月1日現在)

*賞与 年2回(6月、12月) *募集人数 約80名基準

*卒業後  

陸上・海上・航空自衛隊の幹部候補生学校において所定の教育訓練を受けます。医師国家試験合格者には医師免許が与えられ、卒業後は幹部自衛官となります。総合臨床医として必要な知識及び技能を修得するため、初任実務研修を行い、その後、部隊などで約2年間勤務することになります。この後、医学の専門分野に関する知識及び技能を練磨し、2〜4年間の専門研修が行われます。

*償還金

卒業後勤務年限が9年を満たないで離職する場合は、卒業までの経費を償還しなければなりません。

 下着は白などという指定があるとの話を聞くまでは、防衛医科大学校に関心を持たなかったのですが、今回初めて この学校のHPを見てびっくり。前回の友人のメールに付け足すと、結局、友人の娘さんはここには行かず某国立大学に進んだとのこと。防衛医科大学校の毎月の手当てや賞与にはちょっと気持ちが動いたけれど、卒業後は幹部自衛官になることが義務付けられ、卒業後勤務年限が9年を満たないで離職する場合は、卒業までの経費を償還しなければなりません。というところがこりゃダメだとなったらしい。

自衛隊反対などと若い頃から言い続けてきたのに、
その内容についてあまりにも不勉強だったことが恥ずかしい。
勉強することがたくさんありすぎて、あとはあの世でゆっくりだね

今朝見つけたゆずの花芽。12月冬至にはゆず湯ができるでしょう。



2021年4月21日水曜日

72.防衛医大の学生も!?

*昨日の非人間的校則の話を読んでくれた友人から便りが。

💌ブラック校則と闘う大人の代表。荻上チキさん、なかなかおもしろい人です。娘はなんとか公立で医者になるため、産業医大、自治医大いずれもダメでしたが、防衛医大には受かりました。在学要領に「下着の色」の指定があり、パンツは白、ブラジャーは白か肌色。あたしゃひっくり返りそうになりました。私の友人は誰が確認するの?そのほうがエロいね、と大笑いしました。下着の色は、思想統制のスキルなのでしょう。💌

その娘さんは今、立派なお医者さんになっていますが、防衛医大の下着の色指定は、現在どうなっているのかな。

* 私思いますのに、生徒に白い下着を強制する先生は、自らも下着どころか何もかも白ずくめで、生徒たちに見本を示すというのはどうでしょう。

ま、そんな戯言は置いておきましょう。時が来れば自分の花を咲かせる植物の皆さんに敬意を表して今日も写真を。

セッコク、 クレマチス、  デンドロニウム・キンギアナムの4月21日の顔です。






2021年4月20日火曜日

71.毎日新聞社説

今日、4月20日の毎日新聞社説は二つ。
<米国とイラン 核合意妥協点模索し早期復帰を>
<ブラック校則見直し 子どもの人権守る視点で>
 学校における理不尽なルール「ブラック校則」を見直す動きが出ている。  佐賀県では県教育委員会が主導した。県立学校で、下着の色を白に限ったり、髪が茶色やくせ毛の子どもに「地毛申請」をさせたりする規定が廃止された。  熊本市教委は見直し指針を策定した。性の多様性を尊重するため、男女別の制服を押し付ける規定を改めるように全ての市立学校に求めた。 大阪府での頭髪に関する校則の裁判をきっかけに、問題への関心が高まった。LGBTなど性的少数者が自分らしく生きられる社会にしていくべきだという世論も後押ししている。  頭髪や服装に関して細かく規則が定められたのは、「荒れる学校」が社会問題化した1980年代だ。「風紀を乱さないため」というのが主な理由だった。 その後、行き過ぎた管理教育への批判が強まり、各地で校則が緩和された時期もあった。だが、ブラック校則は今なお残っている。  子どもは未熟な存在であり、厳しい規則が必要だという考え方が根底にある。校則の根拠を明確に示した法令はないが、過去の判例では、校長の裁量権が広く認められてきた。  弁護士会や市民団体の調査では、「校則違反の下着は脱がせる」とルール化している学校もある。明らかなセクハラだ。健康への悪影響が懸念される「日焼け止めの使用禁止」という規定もある。  文部科学省によると、「学校の決まりなどをめぐる問題」が理由で不登校になった児童生徒は、2019年度に5500人を超えている。 先月には、各地の教員や学者ら有志が約1万9000筆の署名を添えて、理不尽な校則の廃止を訴える要望書を文科相に提出した。  日本が批准している国連子どもの権利条約は、子どもを「権利の主体」と位置づけ、意見を表明する権利を認めている。  熊本市の指針は、校則の見直し作業に教員だけでなく、子どもや保護者も加えるよう求めている。  子どもの人権は尊重されなければならない。学校のルールづくりに主体的に関わる取り組みを全国に広げる必要がある。

*二つ目の問題について、亡夫は1987年「新しい家庭科We7月号」に<制服のない公立中学校>という論考を寄せている。この全文を載せるには、ここではスペースが足りないが、いずれ紹介したいと思います。つまり、子どもの人権を守る視点で制服をはじめ、子どもたちを縛り締めつける校則をなくした公立中学校が、30年以上も前に存在していたということ。それなのに、30年以上たった現在、相変わらず理不尽な校則で締め付けているどころか、子どもの人権を無視したいわゆるブラック校則が、ますます幅を利かせている。呆れてものが言えないが、私が不思議に思うのは、なぜ子どもたち自身や保護者の側から強烈な「NO!」の声が上がらないのかということ。子ども自身や保護者の側に、理不尽な校則は子どもの人権を踏みにじるものだという意識が薄いのではないか、要するに大人たちの人権意識が薄くそんな大人(教師や保護者)に育てられた子どもたち自らが人権の主体いう意識が持てないでいるのではないか。自分の着るものや自分の体や髪型やすべて基本的人権に属するもので、大人たちからとやかく言われることではないという意識が持てない、持たされないまま中高生になってきたのだと思う。これは中高生の責任ではなくひとえに保護者や教師、社会全体の責任だ。下着が白でなくてはならない理由を教師は子どもたちに説明できるのか。なぜ髪の毛は黒くなくてはならないのか。全くばかげているとしか言いようがない。何色の下着を身につけようが、髪の毛を何色にしようが、パーマをかけようが、そんなことは本人に任せれば良いことだ。
 子どもたちよ、おかしいことはおかしいという勇気を持って欲しい。総理大臣に言われたから、おかしいと思っても言われた通りにするという情けない大人にならないために、とことん納得するまで周りの大人の言うことを鵜呑みにしない、自分の考えを持ち自分の考えを大事にして欲しい。子どもだからといって自分の意見を言ってはならないなどということはない。周りの大人と意見が違ったら、納得できるまで話し合ってください。大人から「子どものくせに生意気な」という言葉が出たら、それは大人の負けですよ。保護者や教師のみなさん、子どもたちを大事に思うなら、決まりや規則は子どが納得できるまで話し合って欲しい。大人の都合で、子どもに押しつけないで欲しい。子ども自身の考え気持ちをどこまでも尊重して欲しいと思います。

2021年4月19日月曜日

70 .去年のクレマチスと今日の松の姿


 きのう(18日)、開花したクレマチスの写真を載せました。今年は、いろいろな花の開花が、去年よりかなり早いようです。

右の写真は、去年の4月25日。下は4月28日。今年の28日はどうなっているかな。クレマチスもほとんど手入れをせず奥庭にほったらかしなのに毎年良く咲いてくれます。



これは松の新芽。この松は、元は盆栽で、夫亡き後、私はとても盆栽の世話などできないので庭の隅に地植えにしました。去年植木屋さんが入って、ずいぶん刈り込んだので、もしかして枯れたかなと心配しましたが、たくさん新芽が伸びてきて一安心です。下の写真はこの松の根元部分。樹齢何年になるのか。盆栽だったのにこの姿ですから、かなりの樹齢じゃないかしら。






69.東京新聞18日(日)佐藤正明さんの漫画大傑作!

 * 18日東京新聞1面に載った佐藤正明さんの漫画大傑作!彼の政治漫画はいつもどれも傑作で、大笑いさせられますが、昨日18日のは中でも大傑作!何度見ても大笑い!!!菅首相のアメリカ訪問をこんな形で批判というか揶揄できるのは、さすが。漫画という方法で権力を笑いのめすのも、大事ですね。

「はじめてのおつかい」というタイトルの8コマ漫画です。

1コマ目 スガ坊やはじめてバイデンおじいちゃんのところにおつかいに行くのです。小さなリュックを背負って、ポリ袋みたいなものをぶら下げてトコトコ歩いて行きます。

2〜5コマ目 ところが途中で怖い顔をした習近平おじさんに3回も出会って、(ベンチに座っていたり、前から犬を連れて歩いて来たり、ランニング姿で後ろからスガ坊やを追い抜いて行ったり)

6コマ目 スガ坊やは怖くなって、とうとう座り込んで泣いちゃう。そこに優しそうなおばさんが来て「どうしたの」と声をかけ「そう.......バイデンおじいちゃんのとこ行くの.......」と慰めているところに、

7コマ目 また後ろから習近平おじさんが自転車に乗ってやってくる。びびるスガ坊やに、おばさんが「気にしなくていいのよ ホラもうすぐそこよ」と指差しスガ坊やを連れて歩き出す

8コマ目 すぐそばの家の前でバイデンおじいちゃん「おおヨシ!!」呼んでいる。駈け出すスガ坊やおばさんは手を振って「おばさんのことも伝えといてね!」と言い、スガ坊やは振り返って大きな声で「うん!」と言う。

漫画を文章で表すのって難しいし、興ざめですよね。特に佐藤さんの漫画は、似顔が実に上手なんです。優しそうなおばさんとは誰のことか、絵を見ればすぐにわかるのですが、ここで種明かしはしません。絵を見なくても「おばさんのことも伝えといてね!」という言葉からお分かりですよね。「うん!」と言ったスガ坊や、果たして優しそうなおばさんのことをちゃんと伝えたでしょうか?

 

2021年4月18日日曜日

68. 4月18日の庭

 *新聞を開いても、テレビのニュースも腹たちまくりのことばかり。今度生まれる時はお花になりたい白髪ばーちゃんは、上天気のちっちゃな庭に出てお花の写真を撮りました。今日咲いたクレマチス、一昨日から咲いているオオムラサキ、そしてほぼ満開のセッコク(シロバナとベニバナ)今年はセッコク(ベニバナ、シロバナ両方)と白バナタツナミソウがことの外元気。オオムラサキは、ひと枝折って、お気に入りのヘレンドの鉢に入れました。


オオムラサキとヘレンドの鉢





ベニバナセッコク

クレマチス



シロバナセッコク満開

2021年4月17日土曜日

67.市川房枝って!?

 今日4月17日の毎日新聞書評欄に市川房枝の文字を見てびっくり!懐かしいというかなんというか、今頃市川房枝の名前を見るとは!考えてみれば女性活躍とかなんとかいうけれど、今まで市川房枝の名前が出なかったのが不思議なくらいだね。今日取り上げられた本の題名市川房枝 後退を阻止して前進」著者は村井良太さん、出版社はミネルヴァ書房、価格はなんと3850円!そしてこの本の書評を書いたのは伊藤智永さん。長文ですが全文書き写します。

書評のタイトルは「女性運動のデモクラシー」
*日本は女性の政治・社会進出が世界的に見て遅れているという議論が盛んだ。であれば、その分野の先駆者である市川房枝の業績は本来もっと参照されていいはずなのに、今やほとんど顧みられない。なぜなのか。
「戦前の婦人運動リーダーにして戦時体制協力者、戦後は政治とカネの問題で理想選挙を実践し、晩年は参院全国区で1位当選した市民運動のアイコン。見方によって像が分かれる幅の広い人だったからでしょう」
*その市川に著者は、いつの時代、どの活動にも一貫していた一筋の信念を見出す。
「複数政党による議会制民主主義の価値と可能性を信じ続けた自由主義者でした」
*自民党を批判した市川に当時の佐藤栄作首相が敬意を払うエピソードが印象的だ。
「政治的立場は違っても、金権腐敗が戦後の政党政治も再び壊してしまうのではないかとの危機感を二人は共有していたのだと思います」
*佐藤の伝記も著した著者ならではの着眼である。
*教科書にも載っている「婦選(婦人参政権)なくして普選(普通選挙)なし」「婦選は鍵なり」の標語は戦前の市川の活動を象徴している。しかし、政治が重要と確信しながら政党に加わらず、参院議員に5回当選しても「政治家にはならない」と言い続けた。一筋縄ではいかない。
*活動の傍ら、運動機関誌に膨大な政治評論や女性の政治教育論を書き続けた姿が丹念に描かれ、全国の志ある女性たちがそれを支えた様子は感動的だ。世界的に活躍した緒方貞子ら多くの有能な女性を、国際舞台や政官界に送り出した功績は今日、もっとたたえられていい。
*本書にはフェミニズム用語が登場しない。そこに著者のひそかな自負を読み取ることもできる。
没後40年。政党内閣制の成立・展開・崩壊を研究する政治家が、女性運動の偉人をデモクラシーの骨太な視点からよみがえらせようと挑んだ論争的な意欲作である。
(以上書き写し終わり。*のところは、新聞で改行のところ。いつものように誤字脱字誤変換などあれば、プロテアナオコの責任です。市川房枝1893〜1981)

2021年4月16日金曜日

66.何度でも言う、オリンピック中止を!

 * 今年の東京オリンピックは、中止!世界中の本音は「中止」だろう。何が何でも実施とは誰が言っているのか、またなぜそんなにしてまで実施したいのか。プロテアナオコは2月27日の「一寸先は闇」で、小笠原博毅、山本敦久編「反東京オリンピック宣言」を紹介して、今年の東京オリンピックは中止すべきと書いた。さらに翌28日のブログで、吉見俊哉著「五輪と戦後〜上演としてのオリンピック」を紹介してさらに中止を訴えた。

*それから一月半あまり、今年のオリンピックを取り巻く状況はどうなったか。誰が考えても、もう中止しかない状況ではないか。すでに大金をつぎ込み(総額いくらつぎ込んでいるのか私にはわからない、メディアもきちんと報道していないのではないか)、内外を問わず多くの人が本音では、今年の開催は無理だと思っているにもかかわらず、誰の音頭で突き進んでいるのか知らないが、相変わらず「中止」の決断が下せないでいる。1日決断を遅らせることで多分、莫大な無駄金を捨てることになるだろう。

*コロナ問題で、目の前に日々の暮らしに苦しむ人々がたくさんいるというのに、「コロナに打ち勝ったオリンピック開催」などと寝言を言っている場合か。

*今月14日(水)の東京新聞社説は「原発汚染水〜不安は水に流せない〜」「普天間合意25年〜辺野古抜きの変換さぐれ」の二本を掲げた。この二つだけでも、オリンピック開催の何倍もの緊急課題だ。オリンピック開催など言うなれば不急不要だ。そもそも東京オリンピック開催は、どこかのだれかさんの「アンダーコントロール」という寝言から始まったのよね。その誰かさんは、今では知らんぷり。

*言いたいこと言うべきことは山ほどあるが、混迷の今の世にいつも思い出すのは、誰が言ったか、本当に真実をついているなと思える次の言葉。

「今だけ金だけ自分だけ」本当に誰の言葉なのかな。

*今日の締めくくりはやっぱり東京新聞4月14日夕刊6面に載った小笠原博毅神戸大教授の論考。<「五輪本来の理念」は幻想である」>この論考は、私には本当に目から鱗だった。長文なので、ここに書き写すことができないのが残念だが、なんとか手に入れてお読みいただきたいとおもいます。とにもかくにも「コロナに打ち勝った印のオリンピック」などというものは存在しないのだ。今年のオリンピックを中止して全力でコロナ禍から立ち直り、安堵の秋を迎えることができたら、それこそ「コロナに打ち勝った日本」と世界中から賞賛されるだろう。


             太陽ツツジ


2021年4月15日木曜日

65.花々

* 13日(火)の件で、杉並警察署に行ってきました。「生活安全課、生活相談係」の石井さんという女性警察官と話をしました。今度のような事例は、今まで聞いたことがないと言うので、新たな詐欺手口か、本当に駐車スペースを借りたかったのか、その点ははっきりしません。ま、何れにしても、不用意に玄関を開けないことですね。おとといのドアホンに録画された写真はプリントして渡しておきました。

*気分転換にまたしても庭の写真です。もう見飽きちゃったって言われそうですが、ご勘弁ください。













 



2021年4月14日水曜日

64.私は騙された!?

  過信は禁物、驕りを警めよ、ということかな。世間によくある様々な詐欺事件。テレビなどで報道されるたび、なんで騙されるのかなと、騙される人を半ば軽蔑していた私。カミサマが、そんな私を戒めたのか。 

 きのう4月13日11時46分、ドアホンが鳴った。何気なく画面を見ると若い男の姿が映って「駐車場の件ですが」という。ここからが私のトロイところ。「はい、じゃあ出ます」と言って玄関に出てドアを半開きにしてしまった。見知らぬ青年がいて、「パーキングが満車の時、おたくの駐車場貸してもらえますか」と言う。一瞬何を言われているのかわからなかった。

 「駐車場の件」と言う言葉にすっかり騙されてしまったのだ。というのも、我が家の周りは私道で、その一角に私道の持ち主共有の駐車場がある。時々、その使い方や施錠のことなどで私道の管理当番の人から話が持ち込まれる。今度もその件かと思ってしまって、深く考えずに玄関を開けてしまったのだ。まさかおたくの駐車場を貸してくれなどという話だとは。

 そこでやっと変だなと思って、「名刺か何かお持ちですか。」というとないと言う。「こんなこと頼むのに名前も言わないなんておかしいですよ」というと、ぶっきらぼうに「鈴木です」という。そして、車を持ってますか?」などとも言う。「そんなこと言う必要はないし、ともかく空いている時でも他人に貸すことはしません。この話は区役所に報告しますから。」というと、「ご勝手に!」と捨て台詞を残して帰って行った。

 なんとも気持ちの悪い話。すぐ区役所に報告したら、そうしたことへの対応は警察にと言われ、杉並警察署に電話。住所氏名年齢家族構成連絡用電話なども聞かれたが、係りの人(名前を名乗られたが聞き取れなかった)は親切に対応してくれた。住所に近い交番も教えてくれて、パトロールをしてくれるとのことだった。

 そこでの話で気になったのは、駐車場探しでなく、家族構成の下見(後で泥棒に入るため?)かもしれないと言われてたこと。インターホンがあるなら玄関の鍵を開けず、ドアチェーンも外さずに、インターホンで対応するようにと注意された。

 今まで、知らない人(名も名乗らない人)の場合、玄関まで行かなかったのに、今回は「駐車場の件で」という一言で、うっかり出てしまった。全く、迂闊な話だった。金輪際、「私は騙されない」などと威張らない!騙される人を馬鹿にしない!そう誓う。ドアホンには録画機能もあるので、きのうの青年の姿はスマホで写し、パソコンに保管した。

2021年4月13日火曜日

63.生まれたばかりのアゲハ蝶

 新しいPCにしてこれまでできなかった、写真の送信ができるようになりました。昨秋から保護していたアゲハ蝶が、今朝羽化しました。とても小さいのですが、よく頑張ってくれたと感動です。(2021.4.13 keiko)


半世紀近い友情を育んできた友人からの写真メール。杉並の自宅でアゲハの羽化を見るなんて、素晴らしいこと!!!

ブログを始めた理由は、友人知人、親族などに近況報告するためでしたが、思っていたよりもずっとたくさんの、懐かしい人や、近くにいてもコロナ騒ぎで、なかなか会えない人たちから、感想や、それぞれの方の近況などがメールで送られてきて、しみじみブログを始めてよかったと思っています。なかでも写真が送られてくるのはありがたいことです。ブログに載せて他の方にも喜んでもらえますので。
下の写真は、我が家の庭のセッコク。山の岩場に咲いているみたいでしょ!


2021年4月12日月曜日

62.友人の庭の花


友人が植えた覚えがないのにお庭に咲いたという花の写真をメールで送ってくれました。名前はわからないということですが、

シラーカンパニューラじゃないかと思いますが。間違っているかも。

中段の写真は、うちの庭に今年咲いたものですが、

それは、去年の秋、ご近所の方から球根をいただいて埋めておいたものです。この花はツリガネ人参にも似ていますね。


よく手入れが行き届いて「どうだ、きれいだろう」といばっているような鉢植えのものよりも、気がついたら芽が出て、花が咲いていたというものの方が、かわいいな。 なんて言うのは,無精もの(私ですが)のたわごと。






我が家の紫蘭も咲きました


2021年4月11日日曜日

61.東京新聞、前川喜平さん💮、丹羽文生さん✖️!

* 東京新聞の「新聞を読んで」というコラム。木村太郎と並んでやめてもらいたい人物(拓殖大教授 丹羽文生)がいて、この頃お出ましにならないからお辞めになったのかと喜んでいたら、なんと本日出てきましたわ。しかも、5面の「社説・意見」(毎日新聞で言うとオピニオン面)のトップ(右上)に!タイトルは「故郷の薫り」。「政治的スタンスこそ筆者との距離感を覚える本紙だが、文化面は他紙と比較してもそのクオリティーの高さは断トツではないか。」だって!やっぱり、木村、丹羽両氏には、一刻も早いご退場を願う!

* その下に読者部だよりがあって、<「読者とともに」の言葉を胸に努力を続けていきます。あなたの感想をぜひ、お寄せください。>とある。私は、今まで何度か木村太郎と丹羽文生の起用はやめてもらいたい、起用する理由を知りたいとメールや電話で質問したが、納得のいく回答はもらえなかった。私の意見を通せということでなく、二人の起用の理由を知りたかったのだがメールには返事はなく、電話にでた人は迷惑そうな受け答えだった。前にも書いたが特報部の内容や「本音のコラム」はどの人のも素晴らしいものが多い。読者とともにというからには私の意見(たぶん少数派なんだろうが)にも、きちんと答えてほしい。

 さて、今日(4月10日)の本音のコラムは前川喜平さん。『まやかしの「子ども庁」』だった。長くなるけれど全文引用する。

「いい加減にしろ」と言いたい。自民党「勉強会」の提案を受け、菅首相が「子ども庁」の創設に向け党内準備組織の設置を指示。そのトップは二階幹事長。骨太の方針に盛り込み、来年度予算に計上するという。*必要なのはまっとうな政策であって、役所いじりではない。役所は今のままで何の問題もない。厚労省と文科省を中心に関係官庁が協力すればいいだけのことだ。*安倍・菅政権の子ども政策は極めて貧弱だった。安倍前首相が「新三本の矢」で「希望出生率一・八の実現」を公言し「夢つむぐ子育て支援」を約束したのは2015年9月。しかし出生率は15年の1・45からダダ下がりし、19年には1・36になった。*児童虐待は12年度の6万件から19年度19万件に増加。小中学生の不登校は12年度の11万人から19年度18万人に増加。児童生徒の自殺も年々増え、20年は499人。昨年のユニセフ報告では、子どもの精神的幸福度が38カ国中37位だ。*必要なのは子どものために金と人をつけることだ。子どもの貧困率(18年で13・5%)を半減させるくらいの政策目標を立てるべきである。*「子ども庁」などというまやかしを選挙の「目玉」にできると考えているなら、国民を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。(現代教育行政研究会代表)

<以上の前川発言で、誤字脱字誤変換があったらプロテアナオコの責任です。*印は改行箇所>

*けさ、毎日新聞日曜版の松尾貴史さんを読んで、プロテアナオコが書いたことと、この前川さんの結語とが似ているので、嬉しくなりました。プロテアナオコの結語を以下に。

とにかく「こどもを舐めるのもいい加減にしろ!」です。「こどもを食い物にするな!」です。「庁」新設でムダ金(すべて国民の税金だぞ!!!)使いは絶対許さん!文科省でも厚労省でも、今ある役所のすべてを動員して、こどもが安心して住める社会、人種国籍を問わず、日本国に住む人々がが安心してこどもを生み育てられる世の中にしろよ!!!!!

60.こども庁だと!!!こどもを舐めるのもいいかげんにしろ!

 今日4月11日日曜日、毎日新聞日曜くらぶ2面、松尾貴史さんの「ちょっと違和感」タイトルは自民検討「こども庁」新たな税金の無駄遣い装置か

松尾さん!私めは、ちょっと違和感どころか、違和感通り越して「怒髪天を突く」です!

 松尾さんは文中でその「こども庁」設置に向けた検討本部のトップに、事もあろうに「あの」二階幹事長を据えるのだという。子育ての話をするのに、82歳、自民党が内規で定める衆院比例代表候補の「73歳」という定年をはるかに超えたおじいさんがどう運営するのか、怖いもの見たさすら湧かない。「ひまご庁」にする気なのか。』

「ひまご庁」!ここまで読んで天を突いた怒髪は、ヘナヘナと垂れ下がって、もう大笑いに転じました。明け方の独居老人の家から「わっはっは」と高笑いが聞こえたらご近所はびっくりでしょうね!「ひまご庁」言い得て妙ですね。しかし笑って済ませる問題じゃないと、ここでまた怒りモードでクイズを。にめじつこひいかは この文字を使って、自民党幹事長殿に怒りをぶつけましょう!(同じ文字を何度使ってもいいのよ)

 とにかく「こどもを舐めるのもいい加減にしろ!」です。「こどもを食い物にするな!」です。「庁」新設でムダ金(すべて国民の税金だぞ!!!)使いは絶対許さん!文科省でも厚労省でも、今ある役所のすべてを動員して、こどもが安心して住める社会、人種国籍を問わず、日本国に住む人々がが安心してこどもを生み育てられる世の中にしろよ!!!!!

空は晴れても心は闇のプロテアナオコです(ブログ筆者の名前はプロテアナオコなので、今後はブログ筆者と言わずにプロテアナオコと言います)


2021年4月10日土曜日

59.丸木俊さんの絵(丸木美術館発行の絵葉書)




 丸木俊さん、そう、あの丸木美術館にある原爆の図を描いた人。あの人がこんな愛らしい美しい絵を描いていたのを知らなかった。全く知らないことが多すぎる。81年生きてきて何ほどのことを知ったのか、何ほどのことを理解したというのか。この世に未練はないなどとうそぶいているけれど、せっかく生まれてきて、本当に朝露の一滴ほどのことも知らず理解せずにおさらばするのはあまりにももったいないと今頃気付いても遅いなあ。でも、まあ、ゼロよりは1ミリでも0コンマ5ミリでも知ったりわかったりしてよかったと思う他ないかな。
 この丸木俊さんの絵の絵葉書を、このところ続けて送ってくれた友人がいる。ありがたい。こんな美しい絵を描く丸木俊さんだからこそ、いっそう原爆の絵を描かずにはいられなかったのだろうと思う。可愛らしい少女や可憐な花たちを愛するからこそ、可愛らしいもの美しいものを根こそぎ焼き尽くした原爆を許せない、許せなかったのだろう。

 それにしても、日本の政治家(政治屋というべきか)は、なんと情けないのだろう。原爆を2度も落とされながらなお76年もその落とした国のいいなりになって揉み手をして生きてきた。原爆を落とした国の「鉄の暴風」によって、小さな島の人々が阿鼻叫喚の中、命をおとしたその亡骸の埋まる土をさらって原爆を落とした国の軍事基地を作るという。その土の中にある亡骸が我が親我が子我が兄弟姉妹だったらという想像力さえない輩が、この国の首相以下政権を担う人々なのか。
 
 今日の毎日新聞朝刊21面「辺野古埋め立て用土砂採取計画 都内の若者ら反対の声」というまっとうな記事が載っている。全国の若者たちが反対の声をあげ、5日〜9日にオンラインで勉強会をして、その模様がYouTubeに投稿され「東アジア平和行進  Peace Walk East Asia」のチャンネルで視聴できる。」と載っている。若者の動きに拍手!

 

58.午前3時半の辺見庸

辺見庸ブログ * 最近1日の時間割(かな?)がめちゃくちゃで、精神状況が狂ってきたのかなとも思うけれど、どう過ごそうと別に他人に迷惑かけるわけじゃなし、『清く正しく美しく』なんてちゃんちゃらおかしい。今、午前3時半、トイレに起きたついでにちょっとPCで辺見庸ブログ(ほとんど毎日見ている)を覗いたら「もの食う人々」(角川文庫 1997年6月20日発売)が40刷になるようだ。「もの食う人々」懐かしい!1994年、共同通信社から単行本が売り出されたとき、私は買って一気に読み、以来、辺見庸のファンになった。一度だけだが講演会にも行った。

* 書棚から「もの食う人々」を取り出してきた。奥付を見ると、私が買ったのは第7刷(1994年7月16日発行)だった。(関係ないけど、94年3月に私は退職している。夫は既に退職していたがまだ元気でもっぱら庭造りに精出していた。今私がブログに載せる庭の写真はその頃の彼の仕事の賜物........って、スミマセン話がそれるのが私の悪い癖で!!!)第1刷発行は1994年6月8日とあるから、3週間あまりで7刷まで行ったのね。すごい売れ行き!

* この本の最後に「本書は共同通信が1993年3月から94年3月まで、全国加盟各新聞に週1回配信した国際通年企画「もの食う人々」(全51回)に加筆し、一部を修正したものである。本文中の各国情勢、固有名詞、登場人物の肩書、年齢、価格などは、細かな記録性を重視したため、取材、執筆当時のままとした。一部を除き敬称を省略した。」とある。今読むとまさに歴史の証人。

*表紙の帯に きたるべき飢渇の日のために 

バングラデシュで、旧ユーゴで、ソマリアで、チェルノブイリで............人々はいま、何を食べ、考えているか。熟達の記者・芥川賞作家の著者が、世界の飢餓線上を彷徨い、ともに食らい、語らい、鮮やかに紡いだ、驚愕と感動のドラマ。現代報道の壁を突破し抜いた、世紀末の食の黙示録。

とある。

*20世紀末の黙示録を読み、21世紀初めの今、既に世紀末的様相を呈している世界をどう考えればいいのか............。



2021年4月9日金曜日

57.4月9日金曜日2度目は『灰とダイヤモンド』のこと

* まさか、いまごろ『灰とダイヤモンド』という文字にお目にかかれるとは!今日の東京新聞夕刊4面「シネマガイド」の左下に<また見たい!この一本>という欄があり、なんとなんと今日のこの一本は『灰とダイヤモンド』だった!!!

* 忘れようとて忘らりょか、何を隠そう我が青春の名画の一つなのだ。 あのラストシーン、ズビグニエフ・チブルスキーが、ごみ捨て場で身悶えしながら息絶えるラストシーン!日本公開は、1959年7月7日 (私19歳!)。吹き替え放映:1971年2月21日「日曜洋画劇場」。

* 我が家の書棚にはビデオカセットテープ(市販されたもの)が70本余りある。DVDじゃありませんよ。その中に、『灰とダイヤモンド』が封を切らずにある。

 そのケースに書いてある解説は

<ドイツ敗北寸前のポーランドの地方都市が舞台。平和回復を祝う花火が夜空を彩るとき、レジスタンス青年は共産党地区委員長を暗殺する。翌朝、兵に撃たれよろめき逃げ回ったすえにごみ捨て場で虫ケラのように息絶えるラストシーンは鮮烈だ。バーの女性との一夜の恋などのエピソードも絡めながら組織に生きた青年の運命を描く。ポーランド国民の反ソビエト感情も背景にーーアンジェイ・ワイダ監督のレジスタンス三部作の一つ。

 STAFF 監督 アンジェイ・ワイダ 原作 イエジイ・アンジェイエフスキー  CAST ズビグニエフ・チブルスキー エヴァ・グジイジェフスカ 

1959年ヴェニス国際映画批評家賞受賞 1960年バンクーバー国際映画祭カナダ映画製作者連盟賞受賞 

白黒(104分)日本語字幕入り 税込3800円、税抜き3689円 発行朝日新聞社 製作ヘラルド・エンタープライズ 販売ポニーキャニオン >

* 古いビデオ再生機があるんですが、テレビに繋いでない。今度馴染みの電気屋さんに診てもらおうかな。30年くらい前に買って、封を切ってないビデオカセットがたくさんあるんですよ。そのほとんどは映画館で三度のメシ代を削っても見ていたもの。で、幾らかゆとりができた時にビデオを買いあつめたんです。いずれ題名一覧表を載せたいな。

56.寝ぼけばあちゃん

 * きのうは、いろいろあって、午後外出し、いつもより余計に歩いたら、古傷(去年7月末の腰椎破裂骨折で40日余り入院した)が痛んだ感じだった。温めると楽なので夕方入浴してひと休みしようと横になったら、目が覚めたのが夜中。というわけで、おととい2度登場した「一寸先は闇」は、きのうはお休みに。そして今朝、5時過ぎに目覚めて「あっそうだ!昨日のブログ書かずに寝ちゃったんだ!」と気がついて、仕方がないので今5時半なんですが、パソコンに向かっています。一昨日は二回もお出まし?!になったのに、昨日はお休み。今日の出来事に関する投稿は、多分夕方以降になるので、今は(昨日の分として)、昨日までに写してあった写真の中から、いくつかを。全く寝ぼけばあちゃんね!!!

* 下の写真 上から順に、お茶の新芽(我が家の庭にはお茶の木もあるのよ!たった一本だけど)シクラメンの地植えいろいろ。地植えにすると、嬉しいらしくよく咲くわ!つぎは、敷石の隙間からいつの間にか芽を出して、一輪だけ花を咲かせたすみれ、愛おしい!最後は、名前忘れてごめんなさいだけど、多肉植物の小さい鉢を買っておいたら、何年経ったのかな(それも忘れた)花芽みたいな茎が伸びてきた。とにかく植物は、あんまりいじらないでおくほうがいいみたいです。っていうのは、怠けばーちゃんのセリフね。

* 4月9日金曜日午前6時を回りました。夕方以降またお会いする予定です。





 







2021年4月7日水曜日

55.お口直しに春の七草

 * けさ、東京新聞の木村太郎の国際通信について悪態をついたので、お口直しをしていただきたく、今日二回目の投稿です。    昼過ぎいつもの善福寺緑地公園に散歩に出て深呼吸。ソメイヨシノはおしまい。八重桜も散り急ぎ、ハナミズキが咲き始めていました。

* そんな中、足元に目を落とすと、70年も前、信州の田舎で嫌という程見ていたなずな(ぺんぺん草が人や犬に踏まれながらも元気良く咲いていた。

*ぺんぺんぐさは春の七草のひとつ。あとの六つは、せり、ははこぐさ(おぎょう)、はこべ、こおにたびらこ、すずな(蕪の別称)すずしろ(大根の別称)

*左の写真はぺんぺん草。公園で一本摘んで、帰宅して紙の上に置いて写した。

*ついでに秋の七草を。

萩、尾花、 女郎花、桔梗、藤袴、葛、撫子


下の写真は、エアプランツの一種、まだ夫が病床にいるころ、娘がパパがベッドにいても見えるようにとべッドサイドのテーブルに置いたもの。

 夫亡き後、たった一度、2016年10月7日に花が咲いた!夫に見せたかった!


5年後の現在は、下の写真の一番手前のような姿で頑張って生きてます。


54.東京新聞は、なぜ木村太郎を優遇するのか

 * 東京新聞については、このブログを始めてから再三書いてきた。

<私は長年、毎日新聞と東京新聞を年間予約で購読してきた。が、最近東京新聞に毎週火曜日、木村太郎の「太郎の国際通信」というコラムが登場し、国際通信とは名ばかりのアメリカ前大統領トランプよいしょの記事ばかり。金を払ってまで木村太郎のご高説を拝読することはないので東京新聞は、やめようと思ったが、それでも「こちら特報部」や、その他にも読み応えのある記事が載ることもり、木村太郎のつまらないコラムのために素晴らしい記事を犠牲にするのもどうかなと悩んでいた
が、今日2月20日朝刊にすばらしい記事が載ったので、短気を起こさずに東京新聞の購読を続けることにした。師岡カリーマさんの「本音のコラム」と経済思想家斎藤幸平さんへのインタビュー記事「あの人に迫る」。(2月20日投稿記事から引用)
*ところが、昨日4月6日(火)恒例の「太郎の国際通信が紙面から消えた。
おお何たる喜び!4月最初の火曜日に消えたということは、ついに木村太郎とおさらばしたのか。
*息切れ休みからも回復した今日4月7日(水)の朝私は悪夢を見せられた!東京新聞朝刊6面<選択的夫婦別姓今「賛成」>という大見出しの記事(私が個人的に知っていて、尊敬している奥野斐記者の署名記事)の右隣に、2度と見たくなかった<太郎の国際通信>が載っているではないか。
曜日を変え、しかも3月までの2倍強の紙面を潰して!これを悪夢と言わずしてなんと言おうか。

*4月1日のブログで雑誌「選択」記事の紹介をし<東京新聞はこの春から編集路線も転換する方針。これまでの独特なリベラル路線を弱めて、高齢者層を対象にした新たな紙面を設けるという。>という記事を書いた。リベラル記事路線を弱めるなどということがあるはずがないと思っていたが、もしかして、その結果が右翼ジャーナリスト、トランプヨイショのコラムを書き続けた木村太郎をますます優遇するということだったのか。それにしても、なぜ木村太郎を切れないのだろうか。

*あえて言う。どんな理由があるにせよ、東京新聞にとって、木村太郎のコラムを載せることは、貴紙の品位を損なう。望月記者や奥野記者の奮闘を帳消しにしかねない。1日も早く木村太郎のコラムが紙面から消えることを願う。

2021年4月6日火曜日

53.昨日4月5日は息切れ休み

*昨日は無休のブログ投稿をついに休んじゃいました。

*残念ですが、きょうも文章にはなりそうにないので、写真で。コロナも政治の無能も何もかも関係なく時が来れば花を咲かせ実を結ぶ植物は偉い。20年くらい前「あたし、大きくなったら赤いお花になりたい」と言った2歳児がいたけれど、「一寸先は闇ばーちゃん」も、しらが頭じゃなくて白いお花になりたいな。ところで今日の写真、

紅花セッコクは我が家の庭の財産。

田中正造の名言はTシャツに染めたもので、リビングに飾ってある。このTシャツは、何年か前、友人のプロデユースで作られたもの。

山を荒らし川を荒らし村を破り尽くし人を殺し続けている現在は文明社会にあらず。















2021年4月4日日曜日

52.今日4月4日毎日新聞必読記事

 毎日新聞東京朝刊14版2面

<時代の風> 梯久美子(ノンフィクション作家)

激戦地の土砂 辺野古埋め立てへ

人間の尊厳守られるか

このブログの3月25日に<沖縄での蛮行 中止を>という、毎日新聞への 作家「池澤夏樹さん」の寄稿を紹介しました。今日の毎日新聞は再び作家の梯久美子さんが、<時代の風>欄に辺野古埋め立て問題について書いています。書き出しの部分と、最後の何行かを引用します。長いので全文引用はできません。ぜひ新聞を手に入れてお読みください。(*印は新聞で改行されていることを示します)

* 骨に見られていると思った。沖縄の写真家・比嘉豊光さんが撮った、戦後ずっと土に埋まっていた日本兵の頭蓋骨の写真を見たときのことだ。

* おそらく若い兵士だったのだろう、大きな歯がきれいにそろい、ぽっかりと開いた眼窩がこちらを向いている。写真とは「見る」ものだという思い込みが崩れ、このとき初めて向こう側から「見られる」という経験をした。向こう側とは、死の側である。

* 2009年夏から10年春にかけて、那覇新都心など、再開発の進むかつての激戦地から、多くの日本兵の遺骨が掘り起こされた。比嘉さんは、沖縄で遺骨収集を行っているボランティア組織「ガマフヤー」の代表、具志堅高松さんから連絡を受けて現場に行き、撮影したという。

* これらの写真は「フォトドキュメント 骨の戦世」(岩波ブックレット)に収められている。頭蓋骨の中に半ばミイラ化して残っていた脳の写真もあり、見たときは衝撃を受けた。

* だが、人の手で掘り起こされ、ていねいに水で洗われたこれらの骨は、まだしも幸運だったのではないかと思うような事態がいま進行している。遺骨が含まれている可能性の高い土砂が、辺野古の新米軍基地増設の埋め立てに使われようとしているのだ。

* 沖縄戦で、看護学徒として最前線に動員された宮城巳知子(みやぎみちこ)さんの話を聞きに沖縄を訪れたのは、06年9月のことだ。(この後が中心部分なのですが、長くなるので中略とします)

* 3カ所すべてで、私は足元の土を見て、感触を確かめた。私たちを見送ってくれたとき、宮城さんがこう言ったからだ。「壕に行ったら、自分が踏んでいる土を見てね。そこには私の友人たちの血肉がしみているの」語り部として本土からの修学旅行生を壕に案内したときも、必ずそう話したという。

* 宮城さんは15年、89歳で亡くなった。もしも本島南部の土に遺骨が一片も含まれていなかったとしても、宮城さんは、級友たちの血肉のしみた土を米軍基地の建設に使うことを許さないだろう。問題は骨そのものではなく、死者のすなわち人間の尊厳なのだ。

2021年4月3日土曜日

51.ちょっと一休み

 *毎日、ほとんど一日中と言っていいくらい新聞やテレビや、ネットなどなどの情報に触れては、腹をたてることが多い日々。私みたいな白髪の80過ぎばーちゃんにだってわかることなのに、なんでなの!というようなこと。昨日書いた、やまゆり園での聖火の採火にしたって、遺族の方々に連絡もせずに決めてしまうとか、口先ばかりで何一つ本気で取り組もうとしないとか、あいかわらず仲間内で宴会するとか、アメリカバイデン政権が最初に会う外国首脳は日本の首相だとか、聖火がどこを通ったとか、女人禁制の船がどうたらこうたらとか、もっと国民に知らせなければならない大事なことがあるだろうに!

*そんな日常で、ほんのひとときでも気持ちが休まるのは、やっぱり植物との対話です。今日は、写真の多分「ホウチャクソウ」(だと思うと話しました。忘れていたのに庭に置いたレンガの陰から芽を出して、ちゃんと花を咲かせていた。「ほんとにえらいねえ!」と褒めました。もう一つは、これもヒトリシズカ」ほど待ちわびていなかったのに、ちゃんと咲いていた「シロバナタツナミソウ」。「ああ、君もいたのね。気がつかなくてごめんね!」とパチリ。浮世絵にある波頭の形に花が連なって咲く。いっぱんに「タツナミソウ」と言えば青紫が多いらしく、白いものはわざわざ「シロバナタツナミソウ」という。というわけで、今日は、怒りは沈めて二つの山野草を愛でました。

*子どもの頃、田舎育ちだったので、山野草など珍しくもなかったけれど、東京杉並に住み、小さな庭に所狭しと様々な草木を植えて愛でていた夫の影響で、今では名前もずいぶん覚えてかわいがっている。「僕がいなくなったら、庭はどうなるかな」なんて言っていた夫も、妻の変身ぶりを喜んでいるんじゃないかな?

ホウチャクソウ

シロバナタツナミソウ