2021年4月20日火曜日

71.毎日新聞社説

今日、4月20日の毎日新聞社説は二つ。
<米国とイラン 核合意妥協点模索し早期復帰を>
<ブラック校則見直し 子どもの人権守る視点で>
 学校における理不尽なルール「ブラック校則」を見直す動きが出ている。  佐賀県では県教育委員会が主導した。県立学校で、下着の色を白に限ったり、髪が茶色やくせ毛の子どもに「地毛申請」をさせたりする規定が廃止された。  熊本市教委は見直し指針を策定した。性の多様性を尊重するため、男女別の制服を押し付ける規定を改めるように全ての市立学校に求めた。 大阪府での頭髪に関する校則の裁判をきっかけに、問題への関心が高まった。LGBTなど性的少数者が自分らしく生きられる社会にしていくべきだという世論も後押ししている。  頭髪や服装に関して細かく規則が定められたのは、「荒れる学校」が社会問題化した1980年代だ。「風紀を乱さないため」というのが主な理由だった。 その後、行き過ぎた管理教育への批判が強まり、各地で校則が緩和された時期もあった。だが、ブラック校則は今なお残っている。  子どもは未熟な存在であり、厳しい規則が必要だという考え方が根底にある。校則の根拠を明確に示した法令はないが、過去の判例では、校長の裁量権が広く認められてきた。  弁護士会や市民団体の調査では、「校則違反の下着は脱がせる」とルール化している学校もある。明らかなセクハラだ。健康への悪影響が懸念される「日焼け止めの使用禁止」という規定もある。  文部科学省によると、「学校の決まりなどをめぐる問題」が理由で不登校になった児童生徒は、2019年度に5500人を超えている。 先月には、各地の教員や学者ら有志が約1万9000筆の署名を添えて、理不尽な校則の廃止を訴える要望書を文科相に提出した。  日本が批准している国連子どもの権利条約は、子どもを「権利の主体」と位置づけ、意見を表明する権利を認めている。  熊本市の指針は、校則の見直し作業に教員だけでなく、子どもや保護者も加えるよう求めている。  子どもの人権は尊重されなければならない。学校のルールづくりに主体的に関わる取り組みを全国に広げる必要がある。

*二つ目の問題について、亡夫は1987年「新しい家庭科We7月号」に<制服のない公立中学校>という論考を寄せている。この全文を載せるには、ここではスペースが足りないが、いずれ紹介したいと思います。つまり、子どもの人権を守る視点で制服をはじめ、子どもたちを縛り締めつける校則をなくした公立中学校が、30年以上も前に存在していたということ。それなのに、30年以上たった現在、相変わらず理不尽な校則で締め付けているどころか、子どもの人権を無視したいわゆるブラック校則が、ますます幅を利かせている。呆れてものが言えないが、私が不思議に思うのは、なぜ子どもたち自身や保護者の側から強烈な「NO!」の声が上がらないのかということ。子ども自身や保護者の側に、理不尽な校則は子どもの人権を踏みにじるものだという意識が薄いのではないか、要するに大人たちの人権意識が薄くそんな大人(教師や保護者)に育てられた子どもたち自らが人権の主体いう意識が持てないでいるのではないか。自分の着るものや自分の体や髪型やすべて基本的人権に属するもので、大人たちからとやかく言われることではないという意識が持てない、持たされないまま中高生になってきたのだと思う。これは中高生の責任ではなくひとえに保護者や教師、社会全体の責任だ。下着が白でなくてはならない理由を教師は子どもたちに説明できるのか。なぜ髪の毛は黒くなくてはならないのか。全くばかげているとしか言いようがない。何色の下着を身につけようが、髪の毛を何色にしようが、パーマをかけようが、そんなことは本人に任せれば良いことだ。
 子どもたちよ、おかしいことはおかしいという勇気を持って欲しい。総理大臣に言われたから、おかしいと思っても言われた通りにするという情けない大人にならないために、とことん納得するまで周りの大人の言うことを鵜呑みにしない、自分の考えを持ち自分の考えを大事にして欲しい。子どもだからといって自分の意見を言ってはならないなどということはない。周りの大人と意見が違ったら、納得できるまで話し合ってください。大人から「子どものくせに生意気な」という言葉が出たら、それは大人の負けですよ。保護者や教師のみなさん、子どもたちを大事に思うなら、決まりや規則は子どが納得できるまで話し合って欲しい。大人の都合で、子どもに押しつけないで欲しい。子ども自身の考え気持ちをどこまでも尊重して欲しいと思います。