2021年4月26日月曜日

78.ピカソ作 ゲルニカ



 *今日最初の投稿は、先ほどアップしましたが、2回目は、ピカソのゲルニカの複製の写真とゲルニカへの旅の記録の一部です。

*1988年、チェルノブイリ事故の2年後。夫婦の4回目のヨーロッパ旅行に出かけました。

スペイン中心の旅行で、その中でも、どうしてもゲルニカに行きたいという夫の希望でした。

*私は、のちに(1998年、最後の旅行から10年後)4回のヨーロッパ旅行を、ヨーロッパ駆け足旅行という旅行記にまとめて小冊子を作りましたが、その中のゲルニカに関する部分を引用します。

*ゲルニカは小さな町ですが、バスク地方の政治的中心都市です。だから、フランコに呼応したナチス空軍の標的にされたのですね。町の中心の丘の上に樹齢5千年といわれるカシの大木があり、バスクの村々の代表者たちがその木の下に集まって自治会議を開いていたのです。「ゲルニカの木」といわれるその木も空爆で炎上し、今は大きな焼け木杭になりましたが、その焼け木杭が、あずま屋風の屋根をつけて保存されており、その近くに小綺麗な州議会の建物があります。建物の裏手には、二代目、三代目の「ゲルニカの木」が植えられています。

 夫は中学生用の教科書(当時、夫は中学校社会科公民教科書の執筆をしていた)に、丸木夫妻の「原爆の図」と共にピカソの「ゲルニカ」を紹介し、「ドイツ軍の爆撃機は、防空壕にもいたたまれなくなって逃げまどう人々めがけて機銃掃射を浴びせました。羊市場の羊も、家畜市場の牛や馬も、吠え続けていた犬たちも子どもたちと同じように倒れ、吠えなくなりました。............」という、当時のこどもの作文を引用しています。

*ピカソのゲルニカには牛や馬も描かれていますね。この絵はいつ何度見ても激しく心が揺さぶられます。これを玄関に掲げていることは、私の誇りです。88年当時は原画は、プラド美術館別館に防弾ガラス越しに展示されていましたが、今日(2021年4月26日)ウイキペディアで検索したらソフィア王妃芸術センター所蔵と書いてあります。プラドで原画を見たことがつい昨日のことのように思い出されます。あれから33年、夫はあの世に、48歳の私は81歳の白髪のおばあちゃん!