2021年7月31日土曜日

NO.207 7月29日東京新聞夕刊1面トップ記事!

 😀 東京新聞の記者、奥野斐さんの素敵な署名記事 😀

7月29日東京新聞夕刊一面トップ記事

日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)の元選手で、現在は男性として生きるトランスジェンダーの三人が、自分らしく個性を発揮できる社会を目指して、動画投稿サイト「ユーチューブ」で情報発信を始める。突然変異する波という意味の「ミュータントウエーブ」というグループを作り、スポーツとファッションを中心にさまざまな企画を打ち出していく。(奥野斐)

見出しは 

元なでしこ 自分らしく

引退後男性に 3人が動画発信

「性のあり方、スポーツに関心を」

少しずつ世の中のあり方が、変わっていくのだなと、ちょっとホッとしていますが、それでもまだまだ、だなと思うのは、オリンピック報道での言葉の問題。

たとえば「なでしこリーグ」とか「侍ニッポン」とか。 まあ、焦らずじっくりというところでしょうか。

                 *

素晴らしい記事の紹介のあとなのですが、どうしても記録しておかねばと思ったのは

炎天下、保育園の送迎バスに9時間も放置されて熱中症で死んでしまった倉掛冬生ちゃん(5才)のこと。息が止まるほどのショック!こんなひどいことがあっていいものか!

2021年7月30日金曜日

No.206 せっちゃんの便り























 秋には82歳になるナオコばーちゃんですが、

去年の7月29日深夜、ナオコばーちゃんは、腰椎骨折、捻挫

という大怪我をし、明けて30日、 つまり一年前の今頃は、

救急病院のベッドで「痛いよう〜!痛いよう〜!」と泣き叫んで

いたのでした。

(実は7月30日は、54年前、北アルプス槍ヶ岳で24歳の生涯を終えた弟の命日)

 昨夜からそれらを思い出して、何が起きるかわからない、つまり、

一寸先は闇ということで、ウトウトして過ごして夜明けを迎えた、

というわけです。

 当時は、よくて車椅子、悪ければ寝たきりかと思われたのでしたが、

主治医からも「奇跡的回復」と言われ「一寸先は闇、その先には光」で、

杖も突かずに40日後の9月10日に退院したのでした。

そして今年2月17日からブログを始め、今日は、大怪我1周年記念日!

写真の「暑中お見舞い」は、

大学の同級生(ブログ共同執筆者?!)「せっちゃんの便り」のせっちゃんから。

81歳(もう82歳になったのかな?)の乙女ちっくハガキ!

 それにしても、この一年間の世の中の変わりよう!!!


2021年7月29日木曜日

NO.205 友からうれしい、素晴らしいお便り

🌻 暑いですね!我が家は、約60年余り前に、畑や田んぼ、河川敷だったところを住宅地に造成したところなんです。我が家も築51年、当時の家が残っているのは、我が家も含めて数件、現在は、取り壊して更地が売り出されたり、新築、改築が続いたりなどで、工事の連続、暑さの中、引きこもりばーちゃんにとっては、イライラが続きます。その上、テレビは五輪五輪の大騒ぎ。新聞は多少批判的記事もあるけれど、読者の投書欄には、バッハ(ばっか、といいたいよ)という人が喜ぶような、始まってみれば感動するみたいな投書も載って、やっぱり日本国の皆さんはお人よしといいますか、乗せられやすいといいますか、「メダルとるぞと勇ましく、誓って五輪を始めたからは・・・・・」なんでしょうかね。とガックリしていたところ、大いに励まされるお便りが届きました!ご紹介します!50年以上も前、同じ職場で志を共に働いていた旧友(omotesan)です。暑さになんか負けていられないと、早速ブログに掲載のYES をもらって、元気にパソコンに向かっています!

💌 to dear protea  Naoko   💌

 暑中お見舞い申し上げます

 naokoさま、休むことなくブログの投稿を続けるのは、至難のことではないですか?そしていつも、その熱意に感心し、驚いています。

 思えばちょうど一年前、大怪我をされながら驚異の復活(大げさ?)、なかなかあり得ない話です。本当によかった!でも、あんまり無理はなさらないで、くれぐれもご自愛ください。

 安倍、菅による十年近くの政権中に、どのくらいの事柄が歪められ、損なわれたか、それこそ枚挙に暇がない。この後、この国で生きていかなければならない子どもたちや孫世代は、どうすればよいのか、心配の種は尽きません。

 そもそも何故(なにゆえ)に、安倍が自民党で重用され、長きにわたって、党のみならず、日本のtopの地位を保持し続けられたのか。それが日本の大いなる不幸の始まりだったと思っています。本人に人間としての資質や首相になる能力のかけらもない人物なのに!岸や佐藤の名門出身!?それだけなのに。幼い頃そのサロンで、祖父の膝の上で政治談議を聞いて育ったという経歴。彼の頭の中は、それこそ1960年代のまま。全くのアナクロニズムそのものと、ずうっと見てきました。

 いかに人を操り、縛れるか?金と饗応で人事権を掌握し、人心を恐喝まがいに平伏させる。忖度がまかり通って、それぞれの分野の機能が停止してしまう。国民にとって大切な事柄は、次々と脇に追いやられ、表面は穏やかに見えても、内実はガタガタ。

 憲法も民主主義も三権分立も、経済体制も、この先どこまで捻じ曲げられていくのか。菅はオリンピックが終わったら、憲法だと言ったとか。待った無しの気候変動、年々雨も風も、その勢いを増し、地震も頻発しているのに加えて、原発増設!?

 数え切れない難題に「国民の安全・安心」とお題目を唱え続けるだけで、何一つ有効な手立てを考えることもできず、「コロナを征服した記念オリンピック」などと嘘まじりのお祭り騒ぎ。それについ騙されてしまう無思慮な国民性、ほんとうに嘆かわしい限りです。

 浮かれ騒いだ後の日本に、どんな現象が表面化してくるのか・・・。もし、コロナがある程度収まったとしても、その後にくるものは、経済面の大混乱とか、多くの国民に襲いかかる食糧事情の悪化か。

 秋には、総選挙があるのでしょうか。野党にも、しっかり危機感を持ってもらい、国民も明日の日本の再構築のための投票と自覚して一票を投じる!国民間の富の配分の公正化や時代のニーズに真正面から誠実に取り組む政権、悪や不平等を排除する気概を持つ政治家が選ばれることを切望しますが・・・果たして。

 今だけ金だけ自分だけは絶対NGです!

 真夏の夜の夢、昨今願っていることです。

🌻 素晴らしい!!!テレビで偉そうなことを言っている、そんじょそこらの「評論家」だの「コメンテーター」だのに読ませたい!!!ナオコばーちゃんのブログだけじゃもったいな〜い。 本当にありがとう!!!わたしも同じ夢を見ます、どうか夢が叶いますようにと願いながら!🌻

🌻  🌷  💐  🌺  🌸  🌻  🌷  💐  🌺  🌸  🌻


2021年7月28日水曜日

NO204 東京五輪で見えた病理 (2)

 (1)続き

 IOCはどうか。コーツ副会長は「大会はウイルスがあろうとなかろうと開幕する」(昨年9月)との姿勢を今も貫き、バッハ氏は今年4月、3回目の緊急事態宣言に対し、「一時的で五輪には関係ない」(記者会見)と言い切った。

 奇妙な行動は、今月16日、バッハ氏が広島へ、コーツ氏は長崎への慰霊の訪問をしたことだ。緊急事態宣言下、不要不急の外出・旅行を控えるべきさなかに、なぜ二人がお供を連れて広島・長崎に出かけなければならないのか。

 オリンピックはスポーツを通じて世界平和への貢献を目標にしてきたことから、バッハ氏はノーベル平和賞を宿願にしているという海外報道がある。被爆者も疑問視する広島・長崎訪問を強行する狙いが透けて見えてくる。

 

 第三の商業主義の問題。テレビ放映権独占の米NBCのトッププロデューサーの発言は強烈だ。「競技が始まり中継を見れば、人々はすべてを忘れて熱中し興奮するさ」と。NBCの広告収入は五輪史上最高に。競泳各種目決勝を選手の体調無視の午前にしたのも米視聴率優先のNBCだ。倫理性を失ったオリンピックの商業主義支配はここまできたかの感がある。

 菅政権、IOC、商業主義の三拍子揃ってのオリンピック強行の根源は、価値観の倒錯だ。

 何が重要と考えるか。価値の順位をピラミッド型の図に描くなら、最上位は国民の命だ。次は人々の暮らしを支える経済や社会だ。菅政権やIOCや利権を持つ企業は、それらを犠牲にして、最上位に五輪をそびえさせている。

 中心人物の価値観を支配しているものは何か。菅政権は次期総裁選と総選挙。バッハ氏はノーベル平和賞。 NBCは日本人のコロナ感染死よりお祭り中継の収益だ。

 東京オリンピックは、史上最悪の汚濁に満ちた大会であったことを、後世に伝える必要がある。アスリート一人一人の汗と成果は、全く別次元の問題で、汚濁の免罪符ではない。(寄稿)

* 上記論考、全くその通りだと思います。今度のオリンピックについては様々な識者の皆さんが、色々な角度からの批判を発表なさっていますね。新聞はテレビと違って、オリンピックの様子はもちろん詳しく報道しています。しかし、批判論は、さすがに新聞の方が多彩だし、説得力のあるものが多い。中でもこの柳田さんの結語は本当にそうだと深くうなずきます。その気持ちを込めてレイアウトは大文字の赤にしました。なお、原文通りですが、レイアウトはプロテアナオコです。写し間違いや入力ミスがあれば私の責任です。申し訳ありません。(プロテアナオコ)

NO203 東京五輪で見えた病理(1)

 今日のブログタイトルの

<東京五輪で見えた病理>

は、毎日新聞 7月28日朝刊13版オピニオン欄の「論点」のテーマです。このテーマに沿って、ノンフィクション作家の柳田邦男さんプロデューサーの残間里江子さん寄稿しています。私は特に柳田邦男さんの論考に感銘を受けました。

価値観の倒錯が根源 柳田 邦男 ノンフィクション作家

 社会や政権が内部に抱えている虚偽や欺瞞や悪弊は、何か危機的な状況に直面すると露呈してくる。東京オリンピックは、その社会的病理を見せつけてくれた。

 五輪をやるのかやらないのか、コロナ死者数が1日100人を超えていた今年春先から議論の焦点だった。ところが、大会組織委員会や国際オリンピック委員会(IOC)、政府などのいわゆる5者協議が7月8日、東京などの1都3県の会場は無観客にすると決めると、五輪開催は当然であるかのように、開会の準備を加速させた。問題の本質がどこにあるのか、3点に絞って分析してみた。

 第一は、菅義偉首相の言説の根底に、うごめく意識を探ること。第二はIOC(特にバッハ会長)の究極の狙いは何かということ。第三は商業主義の支配についてだ。

 菅首相の考えを表した代表的言説は、次の二つだ。「人類がウイルスに打ち勝った証しとして東京大会を実現したい」「国民の安全・安心を最優先する」

 世界も日本も、新型コロナに打ち勝ったとは、とても言える状況にはない。東京には4度目の緊急事態宣言が出されている。

 「安全・安心」という菅首相の言葉は、国会答弁や記者会見などで、念物のように何十回も繰り返された。だが、感染拡大を防せぐ、きめ細かい具体策となると、例えば6月9日の党首討論で「水際対策の徹底、選手は毎日検査」などと五輪関係者対策の答弁をするだけで、国民レベルでの「安全・安心」の具体策は示さなかった。

 あろうことか、党首討論では「安全・安心」とまるで関係のない自分の高校時代にテレビで見た日本女子バレーやマラソンのアベベ選手などに感動したという回顧談を長々と語り、そういうものを子どもたちに見せたいと居直った。

 核心を突く質問に対しては、ひとつ覚えの決まり文句だけを繰り返し、関係のない陳述でごまかす、いわゆる「ご飯論法」で逃げるのは、安倍晋三前首相の常套手段。菅首相はみごとに、その手段を引き継いでいる。安倍・菅時代における政治の言語崩壊は惨憺たるものだ。東京五輪も。その「ご飯論法」で正当化されたのだ。

(ここまででだいぶ視力が弱くなっちゃって、第2と第3は次号に。多分夕方にはアップできると思います〜プロテアナオコ)


2021年7月27日火曜日

NO202 夏枯れ?の庭から

* オリンピックはもうたくさん。どんなに隠しても、言い繕っても、今だけ金だけ自分だけ人たちの集まりが、寄ってたかってやっていること。国威発揚の場ではないのだと何十年も前に言われているのに、日の丸だの君が代だのが全面に、出てきて、アメリカのテレビ局の都合が優先されたり、もういい加減にしろよだね。13歳の子が金メダル取ったって大騒ぎしているけれど、その子のこれからの人生がどうなるなんてことは、誰も気にしないんだろうね。まあ、どうでもいいことかもしれないけれど。

* 話かわって、夏枯れと言っては植物に申し訳ないけれど、例えば、ひまわりとか、タチアオイ とか、夏の花がない我が庭なのです。でも、よく見ると秋を彩るムラサキシキブや新年を寿ぐ千両などが実をつけています。というわけで、しばらく写真がなかったので、夏枯れの庭でも元気な植物の写真です。





 
😡 今日27日、東京新聞、こち特「本音のコラム」で、鎌田慧さんが怒ってます。ぜひご一読を。タイトルは「東京五輪という装置」です。



2021年7月26日月曜日

NO.201 オリンピックと津久井やまゆり園事件5年

 😡 7月26日津久井やまゆり園事件から5年 😡

* 東京新聞は夕刊7面の半分をつかう大きな記事に。毎日新聞の扱いは小さい。オリンピックがなければ、毎日ももっと大きく扱ったのではないか。

* テレビはもちろん、新聞も予想通りオリンピック一色になりかかっている。批判的な記事よりも日本人の活躍に焦点を当てている。が、今日配達されたサンデー毎日8月8日号は、読み応えのある記事が多い。

🌻 サンデー毎日8月8日号 目次の一部 🌻

✳️ 東京オリンピック ワイド 栄光と混乱の狂騒曲 ✳️

  辞任ドミノでも責任を取らない武藤組織委事務総長の厚顔

  豊洲市場の悲鳴「道路渋滞で魚の鮮度が落ちる」

  バブルどころかザル サッカー南アの感染裏事情 など

✳️ 五輪を政治利用し尽くし、五輪とともに失墜する安倍・菅政権  

  国民を守ることを放棄し、政権維持だけを追求 ✳️

✳️ 保阪正康 近代五輪はその役割を終えた(上)✳️

✳️ 実体験したワクチン副反応の苦しみ ✳️

✳️ 「予防軽視」と「治療薬優先」が招いたワクチン敗北

✳️ 佐高信の新人物診断 「不信感」という批評精神 ✳️

  <吉村 昭 戦争に負けて良かった>

✳️ 青木 理「抵抗の拠点から <自然の理>」✳️


📕 五輪と戦後   上演としてのオリンピック 📕

   吉見俊哉著  2020年4月30日 初版発行 河出書房新社 2860円

 円谷幸吉の遺書が載っている。今回のオリンピック関連報道の中で、円谷幸吉に触れたものがあっただろうか。私の極めて狭い見聞では見当たらないが、誰かがどこかで触れているかもしれない。私はオリンピッックと言ってまず思い出すのは円谷幸吉のこの遺書だ。


  

2021年7月25日日曜日

NO.200 再度言う、インパール作戦の愚を思い出せ!

 * まったくもう、オリンピックに浮かれている場合じゃないと思うけれど。始まれば、反対論者もテレビに釘付けになるみたいな戯言をどこかの誰かが言ったらしいが、ほんとにそこまで馬鹿にされて、それでも金だ銀だと大騒ぎするかね?とにかく早く終わってほしい。

* きのう7月24日(土)の毎日新聞夕刊4版5面に載った<週刊テレビ評>金平茂樹(テレビ報道記者)の論考。タイトルは、

無謀としかいえぬ東京五輪強行 

開催の意味を問い続けねば

例によって、全文書き写すのは無理なので、書き出し部分終わりの3段落のみ書き写します。

* この原稿を書いているのは、東京五輪まであと3日という時点だ。だから記事になって皆さんが読まれている時には既に3時間半に及ぶ開会式も終わって、五輪競技が始まり、テレビはどこもかしこも競技の模様を放送していることだろう。史上最多33競技339種目が42会場で行われる。テレビはこれから8月8日の閉会式まで「五輪漬け」になる。

* もともとテレビと五輪は切っても切れない関係にある。戦後日本の一般家庭のテレビ普及の爆発的拡大に寄与した2大イベントは、1959年の明仁皇太子・美智子妃(当時)の結婚パレード生中継と、64年の東京五輪中継だった。

 時代は変わった。五輪の有りようも、メディアとしてのテレビの位置も。世論調査が示すところでは、開催国・日本の国民の多数は、五輪開催の中止または再延期を求めているなど否定的な姿勢だ。こんな尋常ではない中で五輪は始まるのだ。冷静に考えてみよう。この開催強行の選択は、結局、誰のため、何のためなのか。

 そう考えた時、五輪は、人類のさまざまな営みの中で、一旦始まったらなかなか止められない巨大なる愚行と共通する。一つは戦争。例えば、最も無謀な作戦として今も語られるインパール作戦。もう一つの連想は、あえて書こう、原発の再稼動である。国民全員がテレビ観戦を、と呼びかけられているが、そこで費やされる電力には他の有効な使い道があることは、コロナの時代の今、国民はさすがに気づいているのではないか。 

* 金平さんが終わりのところで「インパール作戦」に触れているのを心強く思った。私もこのブログのNO193を「インパール作戦を思い出す」というタイトルで書いた。

また、今日25日の毎日新聞日曜版の「松尾貴史のちょっと違和感」でも、タイトルを

五輪開催巡り問題次々

後へ引けない災禍の再現か

として、結語を次のように書いている。

<コロナ禍の根本的な対処法はできるだけ早く五輪の中止を決定することだったと考えるが、それをしなかったことで抜き差しならず後へ引けなくなるという、80年ほど前の戦争と変わらぬ意識による災禍がここにまた再現されるのか。>

ほかの新聞や雑誌などにも、今回のオリンピックごり押し状況をインパール作戦になぞらえる論考が見受けられる。ちょっと歴史を振り返ればすぐに思い起こされることなのだ。今回のオリンピック関係者はもう一度、インパール作戦のみならず第二次世界大戦(なかでも太平洋戦争)を学び直してもらいたいですね。



2021年7月24日土曜日

NO.199 7月24日の新聞から〜2〜

* 毎日、東京の社説 * 

 まず毎日だが、5面の社説とは別に、1面左側に大きく、主筆 前田浩智の署名入り記事を載せた。タイトルは「異形の祭典」を心に刻む。最近はずっと毎日を購読しているが、1面にこんなに大きく主筆の論考が載ったのは記憶にない。私の記憶違いかもしれないが、毎日新聞社の今回のオリンピックについての姿勢がうかがえる。長文なので全文書き写しはできません。最初の2段落と、最後の3段落のみ書き写します。ぜひ新聞を手にとってお読みくださることをお勧めします。

最初は、

<国立競技場のスタンドは笑顔、歓声で埋め尽くされるはずだった。五輪は観客も主役である。逆風の下、関わるべき存在を欠き、世界が複雑な表情を浮かべる「異形」の東京オリンピックが開幕した。

 原因を新型コロナウイルスの感染拡大のせいばかりにするのは誤りだろう。コロナは内在している問題を可視化する。そこに目を凝らす必要がある。>

最後は、            

< 大切なことは、感動とさまざまな問題を分け、「喉元過ぎれば」で終わらせないことだ。

  五輪開催をこれほどまでに悩み、意味を考えた国民は過去にどれほどいただろう。一人一人の気づきを大事にしたい。

  世界では紛争、格差などの問題が悪化している。数々の不祥事は人権などに関する日本の意識の遅れを実感させた。

  気づきをテコに大会を検証し、五輪の意義を問い直したい。本番はここからである。

社説のタイトルは

 コロナ禍の東京五輪    大会の意義問い直す場に


 次に東京新聞の社説

 「民」はどこへ行った     五輪開幕に考える

 

N0.198 7月24日の新聞から〜1〜

📘 東京新聞7月24日(土)書評欄より 📗

オリンピック反対する側の論理 

ジュールズ・ボイコフ著 

1970年生まれ。米パシフィック大教授。バルセロナ五輪のサッカー米代表。

井谷聡子、鵜飼哲、小笠原博毅監訳

作品社 2970円

書評のタイトルは 巨大な怪物を止めるには

この書評の筆者は、山本敦久(成城大教授)

書評の最後の段落を書き写します。

 大会収益の4・1%しか還元されないアスリートたちの労働と象徴制も略奪される。だがアスリートたちの声が去年、五輪の延期をもぎとった事実がある。アスリートには力がある。黙ってプレーしていればいいという時代は終わった。五輪からスポーツを切り離す。スポーツを社会のなかに引き戻す。それが「反対する側の論理」を組み立てる新たな契機となるのではないか。五輪中止を求める一般の人々、草の根活動家、研究者、そしてアスリートたちからなる複合体が反対側の主人公となるべきだー反対する側の論理を唱えるボイコフ自身が「元オリンピアン」なのだから。

* 是非買って読みたい *

😡 せっちゃん便り 😡

「絶望の開会式、やけっぱちの国歌」

私には、そう映りました。東京新聞24日1面には、「歓声なき開幕、聖火の輝きどこへ」と。暗い開会式は、バンでミックの今にふさわしいと思います。国歌は、マイノリティの呻き、戦争で災害で無惨に殺された人々の呻きが感じられました。延々と続く入場行進。祖国の想いを衣装にこめて、明るく行進する若者たちがコロナに感染せず、引き帰国できますように。  私はこの期間、何はともあれ感染防止に頑張り、医療関係者の絶望的なご苦労に、祈りを捧げます。

* プロテアナオコは今日からしばらく毎日・東京の新聞を保存し、時間をかけて両紙のオリンピック関連記事を検討していきたいと思っています。*


2021年7月23日金曜日

NO.197 今夜オリンピック開会

😡 せっちゃんの便り 😡

 今でも、オリンピック最高顧問?とかしている、あの、安部さんが、今日、開会式、欠席なんですね。さんざん、嘘を、ばらまいて、アンダーコントロールだの、東京の夏は、温暖だの、おもてなしだのって!全く何考えてるんだか。まさに敵前逃亡!今度のオリンピック、私が、知る、情報だけでも、ハチャメチャ‼️国民の半数が中止を求めているこの大会をゴリ押しするなんて、国民のためにも海外から来る人のためにも残酷。(S)

                                                  ☔️

今日の東京新聞朝刊1面は、<開幕目前また><開会式演出の小林氏解任 ><過去『ユダヤ虐殺』コント>  の見出しを掲げて、小林賢太郎氏の解任を伝えている。

 この件について、次の記事が。

 小林賢太郎氏の解任について、差別問題について取材執筆を続けるノンフィクションライターの安田浩一さん(56)「人間の死や強いられた差別に対する鈍感さが際立つ。差別を是認することでどんな結果を招くのか認識がなく、驚くばかりだ」と語った。

 組織委の責任についても五輪には反差別を掲げる五輪憲章があるのに、組織委の人間は「そもそも楽しければいいだろう」と安直に考えている。身体検査が穴だらけなのはそもそも問題だが、選ぶ側の五輪に対する無知、無関心が露呈したと批判。「日本は差別に危機感が薄く、欧米のように反差別規範がない。五輪があったから、日本社会の体質が表沙汰になったにすぎない」と指摘した。


🌻 毎日、東京、購読二紙の2021年7月23日(金)社説タイトル

2021年の東京オリンピックは歴史に残るものになる。この日の社説は後々まで、記憶に留めたい。

*  毎日新聞 *

開会式演出者の解任  五輪の理念踏みにじった

ワクチン接種の証明書 差別生まぬ慎重な議論を

*  東京新聞 *

対立と分断を憂える東京五輪今日開会


😡 明日からのメディアの姿勢を注意深く見続けなければ

      今現在の私の気持ちは以前から全く変わらない。

      今年だけでなくオリンピックというイベントはもう、いらない。

      



💐 明日7月24日は「河童忌」高校生の頃の愛読書 💐


2021年7月22日木曜日

NO.196 インパール作戦を思い出す

 2回目のワクチン接種をして2日目、特に異常はないが、頭はぼーっとしてるし、元気が出ない。東京で感染者が増えているということだが、そんな中で開かれるオリンピックを考える。

 今回のオリンピックは、太平洋戦争末期の「インパール作戦」と同じだ。普段ネット状況をあまり見ないけれど、「インパールオリンピック」で検索するとざっと10項目以上出てくる。ということで、いまさら私が「インパール作戦を思い出す」というタイトルで書くのも恥ずかしいようなことだが、でもやっぱり、他に言いようがない。日本の政治指導者は太平洋戦争当時と少しも変わっていないんだなということは確かだ。

 私は1939年11月生まれ、この年の9月1日ドイツ軍がポーランドに進撃、第二次世界大戦が始まったのだが、日本軍による、のちに「史上最悪の作戦」と言われることになる「インパール作戦」が行われたのは、1944年3月から7月のことだった。その1年後1945年8月には日本は敗戦ということになったのだが、インパール作戦の頃には実質的には、日本の敗戦濃厚だった。今回のオリンピック開催の経過を見れば、先が読めない、責任者が責任を取ろうとしない、忖度と迎合が渦巻く。結局、多くの兵が命を落として終わったインパール作戦となんら違いはない。

 さらに「いざ始まってしまえば国民は熱狂する。金メダルをたくさんとれば喜ぶ」などと、幼稚園児にさえ通用しないごまかし論調を振りまかれる。そんな日本人だらけなのか。少なくとも81歳白髪ババアのわたしでさえも、そんな屁理屈にごまかされはしない。今回のオリンピックに費やされた費用は、どこから出たのか!何兆円という金は誰が負担したのか。バッハか、菅か、小池か、橋本か、丸川か、そんなはずはない。すべて税金だ。国が負担、都が負担というが、国や都が金を持っているのではない。すベて税金だ。それでも、テレビ放映されれば喜ぶのか。小学生に「感動した」とか「誇りに思う」などと言わせて喜んでいていいのか。

 オリンピックの陰で、赤木ファイル問題はどうなっているか。原発被害者への助けはどうなっているのか。熱海の土石流被害者もオリンピックに喜んでいるか。コロナで今にも命の灯が消えようとしている人が、ことしのオリンピックを喜ぶか。私は具体的には何の行動もできない。去年の怪我の後遺症で、あちこちのデモにも参加できない。しかし、テレビやパソコンでオリンピックは見ない。カネまみれ、権力まみれのオリンピックなど何の興味もない。

 オリンピックは 開会式の前に、撤退すべき。インパール作戦の轍を踏むな。心の底からそう思う。


内容

説明

内容

説明

2021年7月21日水曜日

NO.195 ワクチン2回目接種

😢 接種予定時刻は10時40分。この暑さに、さすがに疲れました。 なぜか会場に行くまでのコミュニティバスが満員。時間より早めに行ったら、炎天下の道路で立って待つと言われ、近くのコンビニに逃げ込んで清涼飲料水を買い、しばらく店内で涼みました。接種は問題なく済みましたし、今のところ大きな副反応は出ていませんが、1回目と違ってとにかく暑さに負けました。今夜はブログにならず。おやすみなさい。みなさんもお大事にね。

2021年7月20日火曜日

NO.194 夏のシクラメン<せっちゃんの便り>

私は、高校生の頃から、シクラメンの花が、好きです。そう、あの、シクラメンのかほりが、ヒットする、ズット前。その当時、高校生のおこずかいては、とても買えないお値段でした。冬の花のはずですが、我が家のシクラメンは、私のため?今も、二鉢、咲いています。
昨日、用事で、ひさーしぶりに、小田急に乗り千駄ヶ谷まで行き、帰り、八時すぎ、小田急、満員。みんな、羊の如く、ほとんど、スマホ付けで、話し声、勿論なく、運ばれていきました。
この、気の毒な、ありさまから、私は、憤然と、よーし、コロナ感染防止がんばるぞー!と、思いました。この、働かなければ、食っていない、労働者に、連帯するのに、シニアの私は、コロナ感染防止に頑張ります!リモート勤務できない、そして、エッセンシャルワーカーのみなさま、コロナにかからず、元気で笑い、絶望の、オリンピックが、中止になるか、さっさと、終わるのを、まちましょう!(S)

   うちのシクラメンも地植えのものは春になって咲き始めたわ。もともと、たいていの植物は自然に任せておけば春になって咲くのよね。もちろん秋咲きのもあるけれど、シクラメンは、クリスマスや新年に間に合うように人間が調節しているんじゃないかな。ところで、夏の暑さには弱い私なので、庭の草木が伸び放題なのは気になるけれど、7月29日深夜は去年の大怪我から1年なので、大事をとって庭の手入れは見送り。でも、もしかしてと裏庭のみょうが(クレマチスの根元にたくさん生えている)をみたら、根元にミョウガの子が出ていました。今夜のそうめんに添えてたべるわ。
 みょうがを食べると物忘れするっていう話ご存知かしら。検索するとこのいわれが出てきますね。でも、私は、みょうがを食べなくても年中物忘れしているから平気ですよ(😛)



2021年7月19日月曜日

N0.193オリンピック関連

😡 今日の投稿(NO.189)「友の便り(せっちゃんのたより)」で、和光学園のいじめ問題に関する内容を書いたが、今日の東京新聞夕刊に、関連記事が載っている。

 7面に<五輪冷評>として、①「ワシントン=共同②「ニューヨーク=共同二本の記事が載った。

① 「完全な失敗に見える」米紙

 米紙ワシントン・ポスト電子版は17日、開幕を23日に控えた東京五輪について、これまでのところ「完全な失敗に見えると指摘し、1964年の東京五輪のように日本に誇りをもたらすことは期待できないと伝えた。新型コロナウイルス流行の影響で国民に懐疑論が広がり、当初の五輪への熱気は敵意にすら変わっていると報じた。

 同紙は64年の東京五輪について、日本が敗戦から立ち直ったことを象徴し、インフラ整備も進んだと説明。「これに匹敵する続編を作るのは当初から難しかった」とし、今回の五輪は首都圏での無観客開催が決まったことで経済効果も期待できないとした。

 五輪関係者が利用する東京都内のホテルが新型コロナ対策として館内エレベーターに「日本人専用」「外国人専用」と掲示したことなどを挙げ、日本の「おもてなし」を示すはずだった五輪は「内向きで外国人を警戒する別の日本人像」を浮き彫りにしたと伝えた。

②  小山田さんいじめ問題 米「醜聞」相次ぎ報道

 東京五輪の開会式で楽曲制作を担当するミュージシャンの小山田圭吾さんが過去に雑誌のインタビューで学生時代のいじめについて告白していた問題で、米メディアは「五輪を悩ませる最新のスキャンダル」などと相次いで報道、小山田さんの謝罪後もインターネット上での非難は収まっていないと伝えた。

 米国内で五輪放送権を持つNBC「このような差別的で暴力的な行為をした人物が五輪やパラリンピックに関わる資格はあるのか」と批判するツイッターの投稿を紹介小山田さんは謝罪したが、ネット上では「許されているとは言いがたい状況だ」と分析した。

 AP通信も、小山田さんの行為は「多様性と人権擁護という五輪の原則に違反している」とする専門家の見方も伝えた。


😡 毎日新聞夕刊は、2面の「特集ワイド」でデーブ・スペクターさんの論考を。

* 見出しとリード部分のみ載せます。内容は新聞紙上でお読みください。*

東京五輪で見えたもの

IOCのからくりにメス

大幅に超えた予算 色こい政治色


開催ありきで前のめりな国際オリンピック委員会(IOC)のスタンスに不快感を覚える日本人は多いかもしれない。国内では政治家の問題発言や大会組織委員会の不手際もあった。開幕を目前にしてなお、すっきりしないのはなぜなのか。放送プロデユーサーのデープ・スペクターさんと考えた。

* このブログ投稿後に小山田さんが辞任したことを知りました。

なんと申しましょうか(このセリフ懐かしいでしょ!?)ま、今回の五輪は「どうしようもないデタラメ五輪」として末長く語り継がれることでしょう。(プロテアナオコ)


NO.192友の便り

🌷 旧友がほぼ毎日感想メールをくれるので、なんだかブログ「一寸先は闇」の 共同執筆者みたいになってきました。このブログは執筆者「プロテアナオコ」の力量の問題で、コメント受け付はしておりません。日頃お付き合いのある友人たちからの感想メールは、本人の了解を得て、今までも何度も公開してきました。この旧友は、大学時代の親友で、しばらく交流が途絶えていましたが、それぞれ喜寿を過ぎお互いに夫に先立たれてから、友情が復活したのです。というわけで、毎日のように感想や、自分の意見をメールで知らせてくれるので、これからは共同執筆者みたいなことで、載せていきます。私とまったく同じ考えということはありませんが、基本的な姿勢に違いがないと思っていますので、このブログをお読みの皆様、よろしくお願い致します。「せっちゃんの便り」として載せていきます。

🌷7月19日のせっちゃんの便り🌷

<和光教育、なぜ黙っている?>

今度は、オリンピック開会式、音楽担当に、酷い、いじめ、いじめをしたことを、自慢気に、音楽誌に、話した、過去記事が、炎上。世界中に、拡散。吐き気がする、いじめ。いじめの、当時、和光小、中学、高校。和光は、生徒を、自由に、させて、いたと思う。町田の、緑豊かな、住宅街にある。あの、いじめ、を、見抜けなかった学校、教育者の、倫理、実践を、問いたいと思います。まだ、何の、見解も、出してない。私の、教え子の、面影が、浮かぶ。なんで、この、オリンピック、次々に、恥ずかしいことが、連発するの?私、テレビのオリンピック報道、もう、観る気がしません。

この便りは一切編集していません。私はいわゆるネット社会で話題になっていることには、詳しくないので、私にはよくわからないところもありますが、検索すると、「私立 和光学園でのいじめ」という項目が見つかります。私のブログでは、リンクを貼ることはしませんので、詳しいことをお知りになりたい方は、「和光学園いじめ」で検索すると関連事項が出てきます。

それにしても、まあ、「のろわれた2021東京オリンピック」とでも申しましょうかね。とにかく、当ブログ筆者のプロテアナオコは、現在のカネまみれ、国威発揚(国旗国歌)のオリンピックはもうやめるべきと思っています。ましてや今年、熱帯夜の続くであろうコロナ禍の東京でオリンピックなど〇〇の沙汰としか言いようがありません。

加藤陽子東大教授が7月17日の毎日新聞朝刊「加藤陽子の近代史の扉」で、今回のオリンピックについて述べています。

タイトルは<財政上の適切さを問い続けよ[それでも、日本人は「五輪」を選んだ]>

* 加藤陽子さんは、あの学術会議問題での犠牲者。加藤さんと正面切って議論できるオリンピック関係者なんているのかね。嘆かわしい日本の政治状況。

NO.191青木理.安田浩一著 「この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体」〜目次(2)

 第三章

恫喝と狡猾の政治が生む嫌な空気

   「法治」ではなく「人治」

    権力行使を快感と思う変態性

    日本軍に殺された日本人

    排外主義の根本にある快感

    後藤田正晴の自責

    無関心な政治風土

    負担をすべて周縁部に押しつけ、賢しらに生きる

    政権周辺によるデマの拡散

    弱者の痛みに寄り添う

    能天気で脇が甘い権力者

    急速に凶悪化する現実

    暴力装置としての警察官僚を重用する政権

   「カネ」が起点となる憎悪

 第四章

社会を蝕む憎悪の病理 ヘイトクライムを生む確信犯的無責任と無知

    き出しのレイシズム以上に恐いこと

    当事者意識を放棄して突き放す

    見て見ぬ振りが深く浸透する社会

    加害者性から目を背ける

    最低限の礼節すら失った日本の支配層

    物事の重要性と関係性が消えた

   「それは歴史じゃない、やめましょう」

   「土人」発言の深層

   「どっちもどっち」に誘導する

    中立の傍観者を決め込むメディア的感性

    沖縄の中でも特殊な植民地的現実

   「愛国者」はアメリカの味方

    無責任とメンツによるその場しのぎ

    リアリティなき「反日」というレッテル

    生活、生存を脅かされる「反日狩り」

   「社会分断論」のすぐ先にある危機

 あとがき 矛盾から逃げてはいけない 安田浩一


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2021年7月18日日曜日

NO.190 この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体 青木理・安田浩一著

*きのうは、帯に書かれた「まえがき」よりを紹介しました。今日は目次を紹介します。目次を見て読んでみたいと思ったら、是非購入を。900円(税別)です。私は本を買うのが好きなので、900円はお買い得と思いますが、もったいないと思われる方もあるかな。ま、とにかく目次を。第一章から第四章まであり、安田さんの「あとがき」があります。きょうは、「まえがき」から第二章まで。あすは第三章、第四章と「あとがき」です。

 まえがき 切り捨ての時代を招いたもの 青木理

 第一章 

  対韓感情悪化の源流と 

  それをもたらした日本社会の構造的変化

      深まるメディア不信

      学術会議問題と天皇機関説事件

      異端排除の独裁手法

      税金の使途に過敏に反応する世論

     「反日活動に公金投入は許さない」

      山口組系右翼団体までが動員された

      シンパシーを感じ、毒されていく

      山手線の一両に一人はいる

      一方的な愛情があれば侮辱してもかまわないという論理

      K-POPファンに「韓国批判」を語らせようとする倒錯

      日本人が朝鮮半島の被害者になった瞬間

     「嫌いなコメンテーター」三位に

      嘲笑や罵声、なんでもありのバックラッシュ

      嫌韓の源流が「過去最高に良好な日韓関係」という皮肉

      在日コリアンへの偏見とエリート層への反発

      歴代自民党政権は北の犯行と認識していた

      対日感情の世代的、経済環境的変化 

 第二章 

  友好から対立へ 日韓それぞれの事情

      自民党が決定的に変質した光景

      右翼にとって韓国は同志だった

      安倍晋三一族と在日コリアンの濃密な関係

      日韓地下水脈と岸信介

      日韓友好が対立へ転換した背景

      プーチンやアメリカには反応しない

      上から見下し、かつ下から見上げる差別

      新たな韓流ブームは何を生むか

      女子高性とネトウヨのバトル

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2021年7月17日土曜日

NO.189 😡😡😡おばあちゃん、怒ってる😡😡😡

😡大学時代の友人から😡

タクシー、乗ることある。免許返上したし、なのに、なのに!オリンピックで、送迎車不足、なんと、タクシーを変身させて、オリンピック関係者を乗せて、また、タクシーに戻し、一般客を、乗せるを、6月から、おバカ政府は、やっていた!東京新聞にも、ちょっと、のっていたが、今日の、赤旗日曜版に、タクシー業界の、抵抗の、シール写真と共に、スクープされ、わたしゃ、あったまにきた!ヘンシンと、書かれたシールに、タクシー業界の、皮肉と、反対声明が、滲んでいます。わ、た、し、は、感染予防に、涙ぐましい努力を、しているの!もう、怖くて、タクシーに乗れない!運転手さんに、ね、オリンピック関係者、乗せてないわよね!って、聞いても、彼、何て、言うの?あーあ、もう、嫌だ❗️

*   次から次へとどうしようもないですね、この国は!

     プロテアナオコばーちゃんはほとんど引きこもりなので、タクシーがそんなことになっているなんて知らなかった。次は、一昨日買った本のこと。

 青木理・安田浩一著

「この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体」

   講談社+α新書

を買った。帯にある言葉は

「匿名の悪意」   の被害はもう  止められないのか?

また、帯には前書きの一部が書いてある。それを全文書いておきます。

安田さんは雑誌記者を起点に取材を続け、常に差別と被差別の現場に立って言葉を紡いできた。私は通信社の記者を起点とし、隣国などに駐在しながら政治や外交、歴史などを踏まえて差別の不当性や問題点を発信することが多かった。

そんな私と安田さんがはじめて交わり、対話を重ねたのが本書である。

ならば排他と不寛容の風潮の背後に漂う時代の深層をさらに重層的に解析し、多角的に浮かびあがらせることができるのではないか。それが安田さんとの対話に臨んだ私の思いだったのだが、成果については読者のみなさんの判断に委ねるしかない。

(青木理「まえがき」より)

帯を見ただけで、買っちゃいました。900円+税

2021年7月16日金曜日

NO.188 杉並区立高井戸東小でのこと

 * 早朝、友人から「とっても不愉快」というメール。今朝の東京新聞山手版、杉並区の高井戸東小の、みっともない記事に物凄く腹が立ちました。昔日の栄光にしがみつくのは勝手だけれど、それをもって聖火ト-チを引き込み、子どもらにひけらかし、おじさんのすごさを見せつけ オリンピックの片鱗に子どもらや親や先生やに、「感動」をもたらし、悦に入る。ヘドが出ます。

なんのことかと思ったら、今日(7月16日)の「東京新聞朝刊18面(山手版)」の記事についてだった。慌てて新聞を広げたら、以下の記事が載っていた。

TOKYO 2020・21という記事だった。記事の見出しは、

元オリンピアン・荻原さん 聖火トーチ掲げ構内や教室回る 杉並の高井戸東小 記事は、短いので、全文書き写す。

 杉並区立高井戸東小学校のPTA会長で、スキーノルディック複合の元五輪選手の荻原次晴さん(51)が15日、東京五輪の聖火リレーで使ったトーチを掲げ、校内を回った。子どもたちは五輪に親しんだようで、笑顔を見せた。

 荻原さんは1998年の長野五輪に出場し、現在はスポーツキャスターをしている。3月末に故郷の群馬県で聖火リレーのランナーを務めた。

 この日はトーチを手に各教室へ。子どもたちは拍手で迎え、手を振ったり、声援を送ったり。6年の神戸開渡さん(11)は「本物のトーチを間近で見られて感動しました」、村上礼奈さん(11)は「無観客でも五輪が開催されることに、東京の人として誇りに思えました」と喜んだ。

 荻原さんは取材に「子どもたちが五輪を実感できずにいるのは、もったいない。少しでも心を動かすきっかけになれば」と話した。(中村真暁)

* 記事には、子どもたちが教室で手を振っているカラー写真付き。私は、友人の怒りに共感するが(ヘドが出るほどじゃないかな)、むしろ現場教師達に疑問を感じますね。私が現職だったら初めからこんなセレモニーはさせない。この記事でもっと気になったのは、6年生の多分男女ひとりずつらしい子どもの感想です。「感動し誇りに思う」という表現。ほんとうにそう言ったのかしら。オリンピックの聖火に使われたトーチを見て「感動」「無観客でも五輪が開催されることに東京の人として誇りに思える」って。手垢のついた表現。さらに、子どもの名前を出したことにも疑問あり。本人が承知したのか保護者が承知したのか知らないが、国民の世論を二分する今回のオリンピックに関して、子どもの氏名を公表して「感動」や「誇り」を言わせることはどうなのかな。子どもの中には「今度のオリンピックはやめた方がいいと思う」という子もいるかもしれない。取材した記者はどう思うのかな。


2021年7月15日木曜日

NO.187.梅干し作り (友人の便り)

 😏目下の楽しみは梅干し干しの日が来ること!

第1便
   梅干しが好きでもないのに、もう4回目。原動力は漬け始めに香る、梅のなんともたおやかな香り。清々しく、青く、心洗われる想いのする香りです。それと土用干しの作業。梅からでた液体にどっぷり浸かっている梅を、羊水から出すような思いで、ひとつひとつ笊に間隔を空けて並べ、梅雨があけた悦びに弾けるような陽射しをくれるお日様にあてます。三日間は夕方とりこみますが、三日めの夜は夜干しをします。夜露に当てる、といいますが、何故なのかは解らない。解らないことをするのも楽しい。昔からの女たちの知恵の集大成。
   始めは、鰹節だの赤紫蘇だののまぶされていない、塩だけの梅干しが食べたくて、探したけれど
無いから、自分で漬け始めました。
  意外に簡単で、黴もせずできたので、調子に乗って今年は三キロ漬けました。しかも塩分を15%まで落としてみましたが、今のところ黴は出てません。
かわいいかわいい梅干しちゃん、出来上がったらよろしければ進呈致します、2、3粒ですが。      (7月13日)
第2便
   今朝、梅干し漬作業途中の梅干しさんたちに毎朝の挨拶をしたら、白黴らしきものを発見。初めてのことなので、半信半疑。しかし3袋の2袋が昨日までと違う様子。
   で、常識は疑った方がよいと思うので、黴かどうかの見きわめと、黴に皆さんどう対処しておられるのかを、ネット検索してみました。
   まあ、白黴であろうとは思いましたが、白黴に対する考えはやはり様々で、鬼じゃ蛇じゃと皆殺し派が多数ですが、ぽつりぽつりと、毒ではないのだからそのまま食べちゃうという意見もあり、楽だし同感なので後者に同調。このまま様子をみることにします。
    また報告致します。いきもの相手は、人間相手より面白いです。
    あと2週間、無事で土用を迎えられますように。(7月14日)

NO.186 梅雨空の下で






5月に花(下)だった千両に可愛い実(上)がついた。

砂利の間から見慣れない葉が伸びてきて、今日7月15日見たら花が咲いていた。





2021年7月14日水曜日

NO.185 友の便りと熱血与良政談

🌷花の80代🌷元気な友の便りです 🌷

  梅雨があければ、酷暑!政権って、話し合い、下手なのね。ちぐはぐもいいところ。みんな、勝手なこと云ってる。東日本災害からの、復興オリンピックが、いつのまにか、世界が、コロナに、打ち勝ったと、上手く変えたね。赤旗今日紙面、作曲家、三枝成彰さんが、力ずくと嘘で固めたオリンピックと、発言しています。経済面でコロナ禍と資本主義として、格安衣類の、グローバル、サプライチェーンを、告発しています。テーマは、見えざる鎖。私も、バングラデシュの、衣類を、もっていますが、気の毒で、着る気にならなくなりそうです。大企業の、搾取、横暴は、本当に酷い❗️いまだに、どの国の、労働者も、奴隷のようです。教員だって、政権の駒だものね!わきまえない駒でも許された時代で、よーかったー! 能天気な、私です。

🌷本当にいい時代だった、だからこそ今の世にNOを!!!ナオちゃんより

😡 つぎは、毎日新聞夕刊より 😡

  特集ワイド熱血! 与良政談     

毎日新聞東京7月14日(水)夕刊 4版  (2面)

安倍氏の重い責任=与良正男

   東京オリンピックの大半の競技が無観客で実施されることになった。それでも新型コロナウイルスの感染がさらに広がる懸念は消えそうもない。

   なぜこんな事態に至ったか。

    今さらではあるけれど、どうしても書いておきたいことがある。「2年延期して2022年に開催する選択肢はなかったのか」という話である。

    新型コロナウイルスの感染拡大が深刻になった昨年3月。東京五輪の1年延期方針は、当時の安倍晋三首相と大会組織委員長だった森喜朗元首相との2人の会談で決まった。

   後に森氏が朝日新聞の取材で明かしたところによると、会談で森氏は「2年延ばした方がいいのでは」と進言したそうだ。だが安倍氏は「日本の技術力は落ちていない。ワクチンができる。大丈夫です」と1年にこだわったという。

   安倍氏の自民党総裁としての任期は21年9月まで。「現職首相として五輪に臨みたいのだろう」と察した森氏は「安倍さんは21年に賭けたと感じた」と語っている。

   結局、安倍氏は体調を理由に昨秋退陣し、個人的願望はかなわなかった。「ワクチンができる」の希望的予想も全く外れた。

   そして後を継いだ菅義偉首相も立ち止まることなく強引に突き進んだ。東京五輪は今や菅氏にとっても政権延命の道具だ。

   菅氏はせめて再延期の交渉くらいしたらどうか........と思ってきたのは私だけではないだろう。

   無論、国際オリンピック委員会(IOC)が再延期を認めたかどうかは分からない。菅氏には安倍氏への遠慮もあったと言われる。しかし、肝心のコロナ対策は、安倍、菅両氏ともにずっと後手に回ってきた。揚げ句の果てに緊急事態宣言下での五輪開催だ。

   こうした経緯を安倍氏はどう考えているのだろう。驚くことに安倍氏は、発売中の月刊誌で「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」と語っている。

  今の自民党への逆風を招いた責任は安倍氏にもあるはずなのに、相変わらず自分のことは棚に上げて、国民を敵か味方かに二分して対立や分断をあおっている。

 そんな安倍氏の首相再々登板を期待する声が自民党には根強くある。またまた私はがくぜんとするばかりである。(専門編集委員)


2021年7月13日火曜日

NO.184 東京五輪の夏とその後 民主主義の勝負どころ(毎日新聞7/12夕刊・原文のまま)

  東京オリンピック開催が来週に迫った。

 1年前のこの欄で、「(コロナ対策と経済復興の)両面作戦の困難さが凝縮されているのが、近づく東京五輪・パラリンピック開催の可否判断だ」と書いた。

 戦後75年の年、戦略の統一が苦手だった旧日本軍の悪弊を再確認し、後の政治家らがどう学んだかという文脈だったが、ものの見事に外された。開催可否の決断間近と注視していたら、開催の是非論が観客数問題にすり替わり、開催が既成事実に変異した小才の利く者がいるのだろう。

 それにしても、この1年、アジア太平洋戦争当時と現在を重ね合わせる議論がさらに続いた。スペイン風邪など過去のパンデミックも掘り起こされたが、危機対応としては、戦時との対比が日本人にはなじむ。かつて自・他国民にあれほどの犠牲を強いたのに、教訓が学ばれていないと考える論者が多いのである。

 戦前・戦中との類似の中でも最も不気味なのは、「安全・安心」を掲げる政府が、その科学的根拠をきちんと言えないまま、五輪開催に突っ込んでいく姿だろう。

 ワクチンはまだこれから。競技会場が集中する東京など首都圏の感染者は減らない。来日した外国人選手ら五輪関係者と外部を遮断する「バブル方式」は穴だらけに見える。それでも「安全・安心」なのである。

 旧軍とは国力差を無視して米国と開戦し、その後も重火器に白兵戦を挑ませる無謀集団だった。そこで支配していたのは、勝敗を決するのは科学や物量より戦意だという精神主義であり、「敵は弱いはずだ」といった根拠のない楽観論だ。

 安全・安心を唱えれば安全・安心になるはずだ、とでもいう現況が、旧軍最大の欠陥が繰り返されるのを見ているようで不気味なのである。

    ■  ■

 戦前・戦中とは決定的に違い、今は民主主義の国であって、言論は自由だ。軍の作戦には政府も口を出せない「統帥権独立」などはない。だから、世論調査の公表は自由だし、野党は自由に質問をするし、専門家は自由に危機感を訴える。

 にもかかわらず、政府は旧軍並みと酷評されようとも「安全・安心」で押し通し、揚げ句、緊急事態宣言下での開催。まさに戦略の矛盾だ。

 なぜこうなのかとさかのぼると、直接にはやはり2017年の前回総選挙に行き着くと思う。安倍晋三政権下で行われたこの「国難突破」選挙で自公の与党が大勝した。議席数自体は前々回(14年)、前々々回(12年)と似るが、17年総選挙では森友・加計学園問題のスキャンダルがあるのにもかかわらず勝った。この成功体験は、「何をやっても許される」との万能感・無責任感を政権にはびこらせた。

このことは、民主主義を侵食する深刻な事態だと懸念されてきた。総選挙での勝利が、次の総選挙までの間、非民主的な政権運営を可能にしてしまうのなら、全くの「倒錯した民主主義」だ。しかし、実態はそれに近く、現実的な対抗策がないのである。懸念は最悪の道をたどっている。

    ■  ■

 戦時になぞらえついでに考えると、今はどの段階か。対コロナ戦はすでに1年半以上。緊急事態宣言を出したり引っ込めたりと、政権の対応は、用兵面の下の下と評される「兵力の逐次投入」そのものだ。であるから、五輪開幕は開戦ではなく、もはや本土決戦段階とみるべきだ。菅義偉首相のワクチン接種推進の大号令も、決戦へ向けた呼号に見えてくる。

 しかし、政治にいら立っている場合ではない。歴史に学ぶべきなのは為政者ばかりではない。五輪とコロナという思わぬ組み合わせは、「倒錯した民主主義」の異様さをはっきりわれわれに見せた。その根は深いかもしれないが、少なくとも、17年の選択を再考する機会が与えられたと言うべきだ。東京都議選の結果は、その第1段階ではなかったか。

 来る総選挙には、戦後の初の普通選挙のような責任感で臨みたい。五輪後・コロナ後は歴史の節目だ。その時、誰かに「こうなった責任は有権者にもある」などと、「一億総ざんげ」みたいなことを言わせてはなるまい。【伊藤和史】=毎月1回掲載。以上原文のまま(文字の大小、文字色はプロテアナオコによる)

2021年7月12日月曜日

NO. 183~政権与党化した記者たちへ〜その4〜

  安倍政権が13年、読売巨人軍出身の長嶋茂雄、松井秀喜両氏に国民栄誉賞を授与した件である。この時、安倍氏は巨人軍のユニホーム姿で東京ドームに登場した。かの大横綱・大鵬ですら生前はもらえなかった賞だった。

 「でもメディアのありようを国民はよく見ています。『文春砲』という言葉がありますが、新聞などが担うはずの組織ジャーナリズムのお株や国民の信頼を奪われた証左です。最近、香港の『りんご日報』が中国政府の弾圧で廃刊になりました。日本のメディアも大きく報じた。その自分たちの足元がすでに腐り、崩れている現実は目に入らないのでしょうか。

 言論弾圧ならぬ言論自粛、という不思議な言葉が思い浮かんだ。窓外のどこかで救急車のサイレンが高く、尾を引いて消えていった。

 『五輪』止められぬメディア

 かくいう私は、政治部記者ではないし、ルポやら何やらの合間に時折永田町に出入りする程度である。それでも決して「政権与党」化した記者たちばかりでないことは知っている。道はないのか。

 後藤さんがまとめた。

「与党化したメディアは、官邸筋が流す特ダネは取れるでしょうが、国民に信頼されるかどうかはまた別です。繰り返しますが、メディアは野党性があってこそ。少数派の正論を報じ、そして説得力ある『論』を立てること。そこに活路を見いだしてほしい。もう後はありません」

 後藤さんのもとを辞し、日比谷の街を歩きつつ考えた。

 世論の半数が中止や再延期を求めているのに、政権の思惑通りにずるずる、五輪は開かれようとしている。しかも4度目の緊急事態宣言下に、である。この異様な状況にも、特に異を唱えない与党化したメディアを、後世の人はどう評するのだろう。

 ごとう・けんじ

1949年生まれ。早稲田大卒。73年共同通信に入社し、82年から政治部。自民党の田中派、竹下派、外務省などを担当し、細川護煕政権時には官邸キャップろして55年体制の終わりを見届けた。政治部長、編集局長を経て07年退社。「ニュース23(TBS)キャスターも務め、現在も各局のニュース番組などに出演。著書に「平成政治史」(1〜3巻、岩波書店)など。同書の第4巻を執筆中。(書き写し終わり)

* <政権与党化した記者たちへ>の書き写しは、これでおわります。原文通りに書き写したつもりですが、間違いがあったらゴメンナサイ。なお、文字の大小や文字色などのレイアウトはプロテアナオコによります。

NO.182〜180の続き〜

<政権与党化した記者たちへ〜その3〜>

 ハマコーの「至言」

 後藤さんは東京・飯田橋の生まれ。両親は乾物屋を営んでいた。「6人きょうだい、貧乏人の子だくさんでね。朝から親があくせく働いて、それでも貧しい生活で・・・・・。なんとか広い世界に出たい。その一念だけで大学へ、そしてマスコミへ入ったんです。

 公害といった高度成長のひずみがあらわになった時代でもある。初任地の札幌で選挙取材や政治の奥深さを知り、政治記者人生を歩むことになったが、社会問題を追う社会部の司法記者になりたかった、とも打ち明けた。

 「昔はメディアに来る人間は、『長いものに巻かれる人生だけはイヤだ」という変人ばかりでした。かつてハマコーさん(故・浜田幸一自民党衆院議員)が言っていた。『君らは政治記者だというが、投票所で『自民党』と書いたことなんかねえだろう』。まさにこれ。メディアも記者も『野党性』を自負していたし、それでこそ成り立つ職業のはずです」

 小泉政権で一変した取材現場

 窓外に遠い目を向けていた後藤さんが視線を戻した。

 「今はどうでしょうか。政治の劣化は監視役のメディアの劣化です。なぜこうなったのか。給料も悪くない、生活も安定する、そんな特権に安住するうち、野党性は過去のものになったのか」

 自分たちにも責任はあるのですが、と後藤さんの憂色はいよいよ深い。取材の現場で言えば、かつては国会内でも首相に取材できた。記者会見の司会役も記者が担い、記者みんなが質問できた。

 「ところが私が政治部長だった小泉純一郎政権(01〜06年)のあたりで様相が変わった。国会での首相取材をやめるかわり、官邸で朝夕、小泉さんが取材に応じるという。私は反対した。でもダメだった。小泉さんだからできることで、首相が代われば朝夕の取材もなくなる。権力に押し込まれると思ったのですが・・・・・。

 危惧した通り、その後は朝夕の取材も消え、会見の司会役も官邸側が務め、記者は自由な質問ができなくなった。コロナ禍の今の惨状は前述の通り。先行き不安と右肩下がりの時代である。記者もメディアも「長いものに巻かれ」たほうが楽なのか。後藤さんもうなずく。

 『与党化し、政権に気に入られたメディアには、さまざまな便宜が図られるのも事実です。例えばメディア傘下の野球チームの関係者に国民栄誉賞を与えたり・・・(No.180〜その4〜につづく)

NO181〜180の続き〜

 (記者もあきれる「永田町の論理」)続き

「菅首相は開催するしかないんです。安倍政権時代の昨年3月、大会組織委員会の会長だった森喜朗さんは、大事をとって、2年延期(2022開催)を進言しましたが、これを退けて1年延期を決めたのが安倍さんです。自身の首相在任中に何としても五輪を開きたい。2年延期ではその宿願が果たせないからです。」

 問題はここからだ。安倍氏は病気辞任するが、森氏の危惧通り、コロナ禍は収束どころか今や4度目の緊急事態宣言である。

 「でも、ここで菅首相が中止や再延期を決断すれば、安倍さんの判断が実は大変な誤りだったことが証明されてしまうんです。無派閥の菅首相の政権基盤は、最大派閥・清和会を事実上握る安倍さんによっている。菅首相の決断は、安倍さんの最大のレガシーになるはずの五輪を、最大の汚点にする。安倍さんはこれを許さない。だから菅首相は開催するしかないんです。」

 私たちの健康や暮らしなどどこへやら、あきれた永田町の論理である。記者がひどいもんですね、とつぶやくと、後藤さんの、厚いまぶたに埋まる温和な目がすっと細くなった。

 内閣記者会の「ある出来事」

 「確かに政治は劣化した。コロナ対応を見ていても、その思いは深くなる。ですが、その大きな責任はメディアにあるのではないですか」

 そこで飛び出したのが、記者の政権与党化という言葉だった。

 「首相記者会見を主催するのは首相官邸詰めの記者でつくる内閣記者会です。そこで最近起きたことですが・・・・・」

 それは5月下旬のこと。首相会見は現在、首相官邸側が「感染防止」を名目に、地方紙やフリー記者などの参加枠を10人に制限している。参加者は抽選で決めるため、地方紙は1〜2社しか出られない。これでは地方の人たちの知る権利に応えられない。

 「そこでいくつかの地方紙が参加枠を増やすよう、内閣記者会として官邸に申し入れをしてほしい、と提案したのですが、一部の在京メディアが反対で、この申し入れは実現しませんでした」

 反対したのは複数のテレビ局で、「感染リスク」を理由にしたらしい。官邸の言い分そのままである。結局、記者会としてではなく、幹事社(記者会加盟の各社が交代で務める窓口役)名で要望するにとどまった。官邸は要望を蹴っている。

 「あきれました。質問機会を広げるのはメディアとして当然です。それを自ら封じてどうするのか。菅首相が官房長官だった19年2月には、官邸側が長官会見で厳しい質問をする東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者を排除するような動きをしたのに、記者たちは傍観しましたね。記者が与党や政権の一員になっているのと同じです。」

* NO180〜その3に続く〜*

 

NO.180 「政権与党」化した記者たちへ 

 *毎日新聞 デジタル より*(プロテアナオコは毎日新聞購読者で、ニュースメール受信)

「政権与党」化した記者たちへ 

政治ジャーナリスト後藤謙次さんの怒り

 深く静かに怒っていた。政治ジャーナリスト、後藤謙次さん(71)。自民党を長く取材し、ニュース番組の解説ではその温厚な語り口がなじみ深いが、昨今の政治に、何より記者の劣化に憤りを募らせていた。「いつから政治記者は『政権与党』の一員に成り果てたのか」と。[吉井理記/デジタル報道センター]

「報ステ」レギュラー降板は「政権の圧力」?

 雨がやんだ。梅雨空にわずかな薄日が差している。

 後藤さんと向き合ったのは国内外のメディアやジャーナリストでつくる「日本記者クラブ」(東京・日比谷)の、その薄日が差し込む談話室である。

 東京オリンピックにひた走る菅義偉政権と、これを報じるメディアをどう見るか。共同通信の政治部記者や「報道ステーション」(テレビ朝日)のコメンテーターなどとして、永田町取材歴40年を重ねる先達に問いたかった。

 冒頭で記したように、昨今の政治記者の振る舞いに少なからぬ憤りを抱いておられるご様子だが、それは後述するとして、まず国民の最大の関心事、東京五輪から。

 「私は東京五輪は返上すべきだという立場です。コロナ禍の最初から言ってきた。これが戦争なら戦場を避けて五輪を開くことは可能かもしれない。でもウイルスは違う。人の流れがある限り、誰もが危険にさらされる。開催という選択肢は最初からない」

 意外である。五輪中継はテレビ局のドル箱なのだ。そのテレビに今も出演する後藤さんの反対論だ。思えば昨春、4年にわたる「報道ステーション」のレギュラーを外され、不定期出演になった時も、安倍晋三政権を批判してきたことから「政権の圧力では」とささやかれた。

 「あの時は腰を悪くしていてね。入院が長引き、人事異動の時期でもあったので、身を引かせてもらったんです。安倍政権を批判して、圧力めいたことを言われたことはありません。五輪批判も気にせずやればいい。経営の話は経営者が考えること。現場じゃない。本来はね。」

 記者もあきれる「永田町の論理」

 「本来は」の一言に、今のメディア界への思いが凝縮しているが、ともかくも菅政権、五輪の中止や再延期を求める国民の声などどこ吹く風、五輪開催に突っ走る。

 (長くなるので続きは次回に、と言っても多分今日中には投稿します。ナオコ)

2021年7月11日日曜日

N0.179 金柑の花と実の甘煮

🌷 このところ写真がなかったので、金柑の花と実の砂糖煮を。花は7月に咲き白。実はミドリで熟すと橙色。かんきつ類ってみんな花は白なんですね。甘煮は12月にお正月用に作ります。この写真は一昨年のもの。去年は7月末に怪我をしたあとで、暮れに金柑の甘煮を作るゆとりはありませんでした。今年はどうなるかな。







NO.178 恐ろしい話

 * 午後4時過ぎから久しぶりのすごい雷雨!我が家の周りにも雹が落ちてきて、ガラスが割れやしないかとちょっと怖かった。今、夜7時半だが、小康状態というところ。夜暗い中での雷雨は嫌だな。どうかこのまま止んでくれますように!

* 連日怒り狂っていて少々くたびれてきましたが、テキはそれを狙っているのでしょうね。なんだかんだ言っても、オリンピックも開会すれば喜んでテレビを見る、だの、コロナ自粛も慣れてしまえば文句は言うまいだのと、ほんとうに国民をなめきっている。バカにされて、おとなしくしていたら相手はつけあがるばかりだ。

* 鳴り物入りで大騒ぎして法制化した「教員の免許更新制度」10年余りでもう廃止ですと!私はもう現職じゃなかったけれど、なんてバカな制度をと思って大反対だった。10年しか持たない様な制度を金をかけて作って、もうやめる。制度を作るのにも止めるのにもまたまた血税の無駄遣いをする。自分の財布が痛まないなら、何をやってもいいと思っている。そんな政治家(最近は政治屋というのが正しい様だ)や気骨のない官僚が、作っては壊し、作っては壊しを繰り返して、さも仕事をしている様なふりをする。本当に腹立たしい。

* 恐ろしい話というのはこのことじゃないんです。きょう7月11日の東京新聞5面のトップ記事。「時代を読む」に掲載された山田健太専修大学教授の論考を読んで、本当に恐ろしいと思った。タイトルは<五輪取材規制と民主主義>長文なので全文書き写すことはできない。冒頭だけ書き写す。

* 緊急事態宣言が出される中、さまざまなリスクを抱えたままの五輪開催が避けられない状況だ。最大のリスクが国民の命であることは言うまでもないが、ここにきて日本が世界から民主主義の後進国とみられる危険性も高まっている。国際NGOの自由度指数で近年下位に低迷し、国連の報告書でも憂慮された日本の報道の自由だが、五輪取材を巡り強い規制を課すことになったことから、海外メディアから不満が噴出し始めた。

 そこでの問題は、政府が制限を当然視している節があることだ。この1年半、国内の報道機関は多くの制約の中で取材・報道を行っている。分かりやすいのは首相会見で、席の距離を確保する必要がある中、わざわざ狭い部屋で実施して参加記者数を絞り込み、毎回わずか30人弱の出席で、質問は一社一人一回を厳格に守り、事前に質問内容を教えない社の記者を実質指名しないという運用だ。(このあと、教授は実際にメディアへの制約の実例を挙げていく)

* 市民的自由の制約は、確実かつ着実にこの二十年間進んだ。思想・表現の自由を直接縛る新規立法や改正が殊更に増えたからだ。一方的に法の解釈を変更し政府統一見解として固定化、それを社会に強要する状況も著しい。自由や権利の縮減をさほど気にしない市民社会も定着してきた。

* 表現の自由は空気の様なもので、災難が降りかからない限り、その重要性や必要性は気がつきにくい。(と述べて、現在の社会が表現の自由を失いつつあるのに慣れてしまっているのではないかと言う)

* (結語は) パンデミック下の五輪開催を受け入れた社会を取材したい、との意気込みを「安全・安心のため」だけで抑えるのは不可能だ。民主主義社会の維持装置である取材活動の制約が、どんな意味を持つかを理解しないまま、形式的ルールの押し付けで、しっぺ返しを受けるのは私たちの社会全体だ。

* 以上の論考は、メディアを制約する政府への警告だが、デジタル毎日は昨日7月10日「政権与党化」した記者たちへ 政治ジャーナリスト後藤謙次さんの怒りというタイトルの記事をを配信した。毎日新聞デジタル報道センターの吉井理記記者のインタビュー記事だ。

これについては、今日の投稿が長くなりすぎるので明日に回します。

 

2021年7月10日土曜日

NO.177 新旧友人の意見!

* ブログを始めて良かったと思うことの一つに、ブログを通して旧友や高齢者になってから出会って意気投合した友人との交流が頻繁になったこと。個人的な手紙や電話やメールのやりとりじゃ、相手の都合もあるしと遠慮も働くけれど、ブログの場合、こちらの一方的な発信に対して友人たちが都合の良い時に感想や意見をくれる。それがありがたい。

 今日は、ブログにほとんど毎回感想メールをくれる大学時代の友人からのメールの一部と一人暮らしになってからの友人の「東京新聞への投稿」を紹介します。

 まず旧友のメール

<バッハさんノコノコよく来日、鉄面皮!>

このコロナのなか、IOCバッハさん、よく来たものです。しかも、広島に往くとか。感性のお粗末さに、吐き気がします。政権の記者会見って、バッハと、同じレベル。国民をバカにしてます。司会は、前も、今も、女、操り人形ですよね!女性と言わず、バカにした差別用語、女、と、言いたい。ナニ考えているの?大学で学んでさ!女性が上に立つだけでは駄目、世界の女性指導者に、見劣りしない、頼りになる女性が、日本にもでることを! 2回目ワクチン済ませても、オリンピックが不安で、外出を控えています。

* お次は東京新聞今日7月10日の発言欄から


この発言は、7月2日の麻生財務大臣の東京新聞記者に投げつけられた言葉に対する怒りですね。この話題は、私のブログ「一寸先は闇」のNo.174でも取り上げました。宮沢さんは、私と違って口汚く罵るのではなく、やんわりと、しかし、ぴしゃりと「あなたには国を代表する政治家の品格なし!」と言っていますね。プロテアナオコさんのように「あんたにゃ言われたくねえよ」なんていうよりずっと鋭いですね。まあ、どういわれても麻生大臣には響かないでしょう。こんな人が莫大な借金まみれの国の財布を握っているんですから、怖い話です。



2021年7月9日金曜日

NO.176 オリンピックはやめるしかない

* 朝から晩までオリンピック関連ニュースにうんざり。これほどオリンピック開催は無理という条件が出揃っているのに、相変わらず〇〇の一つ覚えみたいに「安心安全」とわめいているばかり。何が「安全」で何が「安心」なんだ。どこまで無策無能な内閣、IOCなんだろう。

* その陰で、沖縄の辺野古問題、福島の原発「汚染水」問題、コロナ問題、さらにはジェンダー問題、表現の不自由展問題などなど、毎日大きな見出しで伝えるべき問題が、すっ飛ばされている。イライラが募る。ただし東京新聞9日6面の『視点』は、政治部の山口哲人記者の沖縄の米軍基地問題 県民の怒りや史実に理解をというタイトルの記事を載せた。

*IOC会長が来日し、広島を訪問するとか。何をしに行くのか。広島で残酷に殺された人たち、かろうじて命は助かったもののその後の人生を言いようのない苦しみの中で生きてきた人たち、その家族に バッハ会長はどう向き合うというのか。

* オリンピックが平和の祭典などと本気で思っている人などいないだろう。オリンピックに使う金があったら本当に平和に役立ち、ほんとうに困っている人々や国々を助けることに使えばいい。世界中で毎日毎日飢えている子どもがたくさんいて、コロナで死んでいく人がいて、自粛自粛で閉店に追い込まれている人々に、オリンピックがなんの役に立つのか。とにかく、オリンピックで儲かる人がいる、その人たちのために何が何でも開催する。それだけのことだ。

* 話は変わって、7日のブログに麻生財務大臣会見(会見があったのは7月2日)について書いたが、昨日8日、首相記者会見があった。今日9日の東京新聞朝刊7面に、「首相会見詳報」が載っている。閣僚の記者会見というのは、それぞれの仕事について、また、現在国として取り組んでいる大きな問題について広く国民に知らせるためのものだ。国民ひとりひとりと会うわけにはいかないので、メディアをとうして国民に理解を求めるものだ。だから質問するメディアの記者の後ろには国民がいる。その記者に答えるというよりは、その記者の後ろにいる何万、何百万、何千万の国民に話すことになるのだ。ところが、財務大臣にしろ、首相にしろ、そういう意識がない。だから、質問した記者に「その程度の能力か」などというのだ。そんなやりとりを聞く国民は、逆にその程度の首相か、その程度の財務大臣かと思うわけだ。記者をバカにした発言は、結局自分にかえることを、肝に銘じるべき。

*さて、8日の首相記者会見詳報を読んだ。そもそも記者会見の仕組みなど知らなかったが、菅官房長官が、当時、東京新聞の望月記者を無視したことはよく知っている。記者クラブというものに問題ありと見ていたが、昨日の記者会見の記事で、東京新聞は次のような解説をしていた。

* [ 首相会見の流れ]

 菅首相が冒頭に発言した後、内閣記者会の幹事二社(各社持ち回り)がそれぞれ質問。以降は司会の小野日子(ひかりこ)内閣広報官が挙手した記者の中から質問者を指名した。幹事社を含め計14人が質問し、挙手する記者が残る中、一時間で打ち切られた。本紙は挙手したが指名されなかった。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長も同席した。(以上東京新聞より)

* 8日の幹事社は北海道新聞と産経新聞だった。挙手する記者が残っているのになぜ、一時間で打ち切るのか。司会は「もう質問はありませんか」と問うて、誰も挙手しなかったら「これで終わります」というべき。手を挙げている記者がいるのに打ち切るとは国民をなめているとしか言えない。指名されなかった記者は打ち切りを是とせず食い下がってほしい。

2021年7月8日木曜日

No.175. 東京新聞「こち特」で、安倍発言批判

7月3日のNo.169「一寸先は闇」で、私は安倍晋三前首相の「反日的な人たちが五輪に反対」(「月刊Hanada」誌での発言)をとりあげたが、今日、7月8日東京新聞朝刊「こちら特報部」も大きく取り上げた。

* 以下はブログ「一寸先は闇」の結語部分。

アベは枝野氏批判で、一方的な批判に終始するなど、インタラクティブ(双方向)な議論を避ける特徴があると言ったというが、それは自分のことでしょうがだいたい安倍晋三という人物は議論を避けるどころか議論ができない「ご飯論法」の人だものアベ批判をしろと言われればいくらでもできるけれど、時間がもったいない。

*今日の東京新聞「こちら特報部」の

見出しリード部分*

<レッテル貼り安倍さん健在> 

<「反日的な人たち五輪開催に反対」>

<共産党など名指し批判>

<「非国民」と同義で使用>

<「こんな人たち」強気一辺倒の自説>

<コロナ不安の民意 切り捨て>

<異論排除 民主主義の危機>

月刊 Hanada」8月号に掲載された安倍晋三前首相の発言が物議を醸している。東京五輪に対し「反日的」な人たちが開催に強く反対しているというのだ。各種の調査によると、いまでも五輪の中止を求める人は三割ほどになる。反日ではなく、コロナへの素朴な不安の表れではないのか。今回に限らず、レッテルを貼って批判を切り捨てる安倍さんの手法には批判が強い。(石井紀代美、中山岳)

*記事の中での駒沢大の山崎望教授(政治理論)の発言の一部

「意見の異なる相手と議論して合意を図ることが、政治の現場で成り立たなくなりつつある。このまま放っておけば、民主主義が壊れていく恐れすらある。安倍さんの今回の発言は危機を象徴していると言え、過去の失言とは比べられない危うさをはらんでいる。見過ごしてはならない」

😡「一寸先は闇」は言う1日も早くオリンピック中止宣言を😡