2021年7月28日水曜日

NO203 東京五輪で見えた病理(1)

 今日のブログタイトルの

<東京五輪で見えた病理>

は、毎日新聞 7月28日朝刊13版オピニオン欄の「論点」のテーマです。このテーマに沿って、ノンフィクション作家の柳田邦男さんプロデューサーの残間里江子さん寄稿しています。私は特に柳田邦男さんの論考に感銘を受けました。

価値観の倒錯が根源 柳田 邦男 ノンフィクション作家

 社会や政権が内部に抱えている虚偽や欺瞞や悪弊は、何か危機的な状況に直面すると露呈してくる。東京オリンピックは、その社会的病理を見せつけてくれた。

 五輪をやるのかやらないのか、コロナ死者数が1日100人を超えていた今年春先から議論の焦点だった。ところが、大会組織委員会や国際オリンピック委員会(IOC)、政府などのいわゆる5者協議が7月8日、東京などの1都3県の会場は無観客にすると決めると、五輪開催は当然であるかのように、開会の準備を加速させた。問題の本質がどこにあるのか、3点に絞って分析してみた。

 第一は、菅義偉首相の言説の根底に、うごめく意識を探ること。第二はIOC(特にバッハ会長)の究極の狙いは何かということ。第三は商業主義の支配についてだ。

 菅首相の考えを表した代表的言説は、次の二つだ。「人類がウイルスに打ち勝った証しとして東京大会を実現したい」「国民の安全・安心を最優先する」

 世界も日本も、新型コロナに打ち勝ったとは、とても言える状況にはない。東京には4度目の緊急事態宣言が出されている。

 「安全・安心」という菅首相の言葉は、国会答弁や記者会見などで、念物のように何十回も繰り返された。だが、感染拡大を防せぐ、きめ細かい具体策となると、例えば6月9日の党首討論で「水際対策の徹底、選手は毎日検査」などと五輪関係者対策の答弁をするだけで、国民レベルでの「安全・安心」の具体策は示さなかった。

 あろうことか、党首討論では「安全・安心」とまるで関係のない自分の高校時代にテレビで見た日本女子バレーやマラソンのアベベ選手などに感動したという回顧談を長々と語り、そういうものを子どもたちに見せたいと居直った。

 核心を突く質問に対しては、ひとつ覚えの決まり文句だけを繰り返し、関係のない陳述でごまかす、いわゆる「ご飯論法」で逃げるのは、安倍晋三前首相の常套手段。菅首相はみごとに、その手段を引き継いでいる。安倍・菅時代における政治の言語崩壊は惨憺たるものだ。東京五輪も。その「ご飯論法」で正当化されたのだ。

(ここまででだいぶ視力が弱くなっちゃって、第2と第3は次号に。多分夕方にはアップできると思います〜プロテアナオコ)