2021年7月25日日曜日

NO.200 再度言う、インパール作戦の愚を思い出せ!

 * まったくもう、オリンピックに浮かれている場合じゃないと思うけれど。始まれば、反対論者もテレビに釘付けになるみたいな戯言をどこかの誰かが言ったらしいが、ほんとにそこまで馬鹿にされて、それでも金だ銀だと大騒ぎするかね?とにかく早く終わってほしい。

* きのう7月24日(土)の毎日新聞夕刊4版5面に載った<週刊テレビ評>金平茂樹(テレビ報道記者)の論考。タイトルは、

無謀としかいえぬ東京五輪強行 

開催の意味を問い続けねば

例によって、全文書き写すのは無理なので、書き出し部分終わりの3段落のみ書き写します。

* この原稿を書いているのは、東京五輪まであと3日という時点だ。だから記事になって皆さんが読まれている時には既に3時間半に及ぶ開会式も終わって、五輪競技が始まり、テレビはどこもかしこも競技の模様を放送していることだろう。史上最多33競技339種目が42会場で行われる。テレビはこれから8月8日の閉会式まで「五輪漬け」になる。

* もともとテレビと五輪は切っても切れない関係にある。戦後日本の一般家庭のテレビ普及の爆発的拡大に寄与した2大イベントは、1959年の明仁皇太子・美智子妃(当時)の結婚パレード生中継と、64年の東京五輪中継だった。

 時代は変わった。五輪の有りようも、メディアとしてのテレビの位置も。世論調査が示すところでは、開催国・日本の国民の多数は、五輪開催の中止または再延期を求めているなど否定的な姿勢だ。こんな尋常ではない中で五輪は始まるのだ。冷静に考えてみよう。この開催強行の選択は、結局、誰のため、何のためなのか。

 そう考えた時、五輪は、人類のさまざまな営みの中で、一旦始まったらなかなか止められない巨大なる愚行と共通する。一つは戦争。例えば、最も無謀な作戦として今も語られるインパール作戦。もう一つの連想は、あえて書こう、原発の再稼動である。国民全員がテレビ観戦を、と呼びかけられているが、そこで費やされる電力には他の有効な使い道があることは、コロナの時代の今、国民はさすがに気づいているのではないか。 

* 金平さんが終わりのところで「インパール作戦」に触れているのを心強く思った。私もこのブログのNO193を「インパール作戦を思い出す」というタイトルで書いた。

また、今日25日の毎日新聞日曜版の「松尾貴史のちょっと違和感」でも、タイトルを

五輪開催巡り問題次々

後へ引けない災禍の再現か

として、結語を次のように書いている。

<コロナ禍の根本的な対処法はできるだけ早く五輪の中止を決定することだったと考えるが、それをしなかったことで抜き差しならず後へ引けなくなるという、80年ほど前の戦争と変わらぬ意識による災禍がここにまた再現されるのか。>

ほかの新聞や雑誌などにも、今回のオリンピックごり押し状況をインパール作戦になぞらえる論考が見受けられる。ちょっと歴史を振り返ればすぐに思い起こされることなのだ。今回のオリンピック関係者はもう一度、インパール作戦のみならず第二次世界大戦(なかでも太平洋戦争)を学び直してもらいたいですね。