2021年7月28日水曜日

NO204 東京五輪で見えた病理 (2)

 (1)続き

 IOCはどうか。コーツ副会長は「大会はウイルスがあろうとなかろうと開幕する」(昨年9月)との姿勢を今も貫き、バッハ氏は今年4月、3回目の緊急事態宣言に対し、「一時的で五輪には関係ない」(記者会見)と言い切った。

 奇妙な行動は、今月16日、バッハ氏が広島へ、コーツ氏は長崎への慰霊の訪問をしたことだ。緊急事態宣言下、不要不急の外出・旅行を控えるべきさなかに、なぜ二人がお供を連れて広島・長崎に出かけなければならないのか。

 オリンピックはスポーツを通じて世界平和への貢献を目標にしてきたことから、バッハ氏はノーベル平和賞を宿願にしているという海外報道がある。被爆者も疑問視する広島・長崎訪問を強行する狙いが透けて見えてくる。

 

 第三の商業主義の問題。テレビ放映権独占の米NBCのトッププロデューサーの発言は強烈だ。「競技が始まり中継を見れば、人々はすべてを忘れて熱中し興奮するさ」と。NBCの広告収入は五輪史上最高に。競泳各種目決勝を選手の体調無視の午前にしたのも米視聴率優先のNBCだ。倫理性を失ったオリンピックの商業主義支配はここまできたかの感がある。

 菅政権、IOC、商業主義の三拍子揃ってのオリンピック強行の根源は、価値観の倒錯だ。

 何が重要と考えるか。価値の順位をピラミッド型の図に描くなら、最上位は国民の命だ。次は人々の暮らしを支える経済や社会だ。菅政権やIOCや利権を持つ企業は、それらを犠牲にして、最上位に五輪をそびえさせている。

 中心人物の価値観を支配しているものは何か。菅政権は次期総裁選と総選挙。バッハ氏はノーベル平和賞。 NBCは日本人のコロナ感染死よりお祭り中継の収益だ。

 東京オリンピックは、史上最悪の汚濁に満ちた大会であったことを、後世に伝える必要がある。アスリート一人一人の汗と成果は、全く別次元の問題で、汚濁の免罪符ではない。(寄稿)

* 上記論考、全くその通りだと思います。今度のオリンピックについては様々な識者の皆さんが、色々な角度からの批判を発表なさっていますね。新聞はテレビと違って、オリンピックの様子はもちろん詳しく報道しています。しかし、批判論は、さすがに新聞の方が多彩だし、説得力のあるものが多い。中でもこの柳田さんの結語は本当にそうだと深くうなずきます。その気持ちを込めてレイアウトは大文字の赤にしました。なお、原文通りですが、レイアウトはプロテアナオコです。写し間違いや入力ミスがあれば私の責任です。申し訳ありません。(プロテアナオコ)