2021年7月4日日曜日

171.7月4日亡き父の誕生日(1899年7月4日)

* 父は、自分の誕生日がアメリカ独立記念日と同じ日だというのが自慢だった。なぜそう思ったのかよくわからないが、子どもの頃、よくそんなことを聞かされたので、アメリカ独立記念日が7月4日ということは小学校低学年の頃から知っていた。そのせいか、リンカーン大統領にも興味を持って、リンカーンの伝記もその頃読んだ気がする。

 母は、10月30日生まれ(1902年)で、やはり子どもの頃「私の誕生日は教育勅語と同じ日だよ」と言っていたので、「教育勅語」のなんたるかも分からず「明治二十三年十月三十日御名御璽」という言葉だけは覚えた。内容は知らなかったが、中学生になって日本歴史を学ぶ頃には「教育勅語」は教えられることもなかった。アメリカ独立記念日と教育勅語、変な取り合わせだが、父母の誕生日はこんなことで、忘れることはなかった。

 その両親の命日も忘れられない日になった。父は1979年3月3日、母は1986年12月24日に亡くなった。なんとまあ、父はひな祭りの日、母はクリスマスイヴ。アメリカ独立記念日に生まれた父がひな祭りに亡くなり、御名御璽の日に生まれた母が、クリスマスイブに亡くなったとは、不思議な取り合わせ。

 私の誕生日は11月26日、何の日かと調べたら、7月1日にブログに書いた 映画『カサブランカ』が1942年11月26日にニューヨークで世界初公開された日だった。おもしろいつながりがありますね。

* ところで、今日は、安倍晋三が「ポツダム宣言」をまともに読んでいないという話を書くつもりだったのに、話がずれちゃいました。でも、やっぱり書いておかねば。

「ポツダム宣言」は、ウイキペディアによると

ポツダム宣言(ポツダムせんげん、Potsdam Declaration)は、1945年昭和20年)7月26日イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国政府主席の名において日本に対して発せられた全13か条から成る宣言。日本への降伏要求の最終宣言Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)。宣言を発した各国の名をとって「米英中三国共同宣言[1]ともいう[2]ソビエト連邦は後から加わり追認した。7月26日に発せられた宣言を日本は1945年8月14日にこの宣言を受諾し、9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦太平洋戦争は終結した。

という経過をたどる。もう一度確認すると、宣言が発せられた7月26日から受諾した8月14日まで19日もの時間があったということ。その間に広島、長崎への原爆投下があったということ、もっと言えば、ポツダム宣言が発せられる2ヶ月も前に沖縄が殲滅させられたということ!

いかに日本天皇制国家が、人民の命を軽んじていたかがわかる。その歴史を顧みれば戦後の日本国首相がまずしなければならないことは戦後日本が始まったポツダム宣言を熟読玩味することだ。それなのに、安倍晋三首相は、事もあろうに国会の場で、恥ずかしげもなく「ポツダム宣言をつまびらかにしていない」と言ってのけたのだ。そしてその首相は、いまだに自民党内で権勢をふるっているという。そんな政党を国民の多数が支持している。言葉もない。